2021年11月10日水曜日

惜しかったな選挙結果

 総裁選のあの騒ぎ。取り上げることでよっぽどの利得があるのか、もしくは忖度かと思う報道で、テレビに映れば内容はさておいて、なにかやっている感が醸し出されるのをちゃんと狙っているのは、「民主主義」「公平」「平等」という観点を、投げうったことに見えた。一政党の総裁選であれだけのことをするというのは、いったいマスメディアの「本心」なのか。そうは思いたくないし、心を砕いている人はいないわけではないと思う。

 「人事」で「圧力」で、政権の不都合を捻じ曲げることを何とも思わない連中のやることが、問題なくまかり通っていくことは、いつまでも続くはずはない。コロナで見えた「まともに聞かない意見」を自覚したわけではないだろう、国会を閉ざしたまま「意見を聞く」と言い始める馬鹿らしさ。逆手にとって愚弄しているというしかない。これが通っていくのが、彼らの薄笑いのなかに見える気がする。政策のない野合の票のやり取りをする方法や、あらゆる「ファクト」を使って政権を維持させたものの、すっきりというわけにはいかなかった。

 がっかりした結果だったのは、政策による「政権選択」が貶められているのに、効果的な打ち返しがあまり感じられなかった。メディアの議席予測では、その報道が見事にブレたのは競っていたからだろう。それこそ開票速報を「熱く報道する」といった空文句が、せいぜいの報道姿勢だったことは、反省が迫られることではないか。予測することでなく、議論すること―民主主義への一歩を踏み込んでもらいたい。

 小選挙区で✖政治家が複数落選したのはせめてものことだった。小選挙区制はそもそも民意を反映するには、様々な意見、要望を持ち込む議会としては、とても不十分なものだが、であっても民意を反映するのはそこで勝つことが要求される。政策でまとまって一致点で協力するのは合理的なことだと思う。だからこその「怖さ」をしっかりしたものにしていくことが一番の力になっていくのだろうと振り返って思う。