2011年11月17日木曜日

スポーツマンシップを大事にして


 琴欧洲が土俵下までもつれて倒れ込んだ相手を、手を出して助け起こした。清々しい気がする。「ざまをみろ」みたいな態度をした元横綱を許した体質や、暴力その他、スポーツマンシップとはほど遠いことがあいついだ。

 相撲会場はまだ、席に空きがあって寂しい状況が見える。他のスポーツでもスポーツマンシップを感じさせる場面はある。

 我がつりの会は、スポーツとしてのつりを心がけることをめざしている。競技にばかりこだわるのは個人的には意見ありだが、さておくとして、競技がスポーツマンシップによって成り立つことは当然。 
 
 その競技によってつりの技量が発展することは間違いない。競技はルールの中で運営される。開始時間、終了時間、つり範囲、竿の本数など。これで数十人が釣りをすると、結果は想像を超える。
 
 釣果の多寡が歴然としてなぜ?との疑問が当然にも湧く。「魚がいない」「食わない」という自己評価が打ち砕かれる。

 ルールの厳密さの物差しでは検討の余地があるにしても、釣りの愉楽(たくさん釣りたい、人より釣りたい)のためには、スポーツとしての釣りは追求すべきことと言えるのだろう。

 ルールに則ったスポーツマンシップが、スポーツの発展を生むことは違いない。我が釣りの会には「つり学校」の行事もある。もちろん暴力的しごきはない。