2014年8月20日水曜日

災害を自然のせいにしておくのは策略だろう

 土地値が下がるから、「特別警戒区域」指定に反対すると、行政側は指定することがでないのだそうだ。そんな馬鹿な話があるのかと思うが、京都市の地すべりではたくさんの犠牲者が出てしまった。平成11年にも30名上の犠牲者があったとのことだから、同じ轍を踏んでしまったことになる。広島市の消防担当者は対応の遅さと判断が遅かったことを反省する弁を述べていた。大島の土石流の被害でも自治体判断の責任の重みが言われた。身近な自治体の対応が大事なことには違いないが、この豪雨の予報もまだ的確なものと感じない。

 8月初めから11号台風の影響と合わせて、間欠的な豪雨が続いて四国地方を中心に被害を受けたが、さすがにこれまでの台風被害にたいする弾性をもっているのか、その割に大きな人的被害にはならなかった。このときたしかに「特別警報オンパレード」のように警鐘乱打したことが功を奏した面もあるのかとこの時思った。

しかし要は「温暖化」をまだ正面から見てない、というより見ようとしていないところに原因があるような気がしてならない。ここのところの雨の降りようは、なまじなものでない。「何年に一度の」だの「8月の降雨量を3時間で」などといってなんの意味があるのだろう。たくさん振ったものだからしかたがないと言う気かと皮肉りたくなる。

広島市の宅地開発は、山際までどころか傾斜部へ競りあがってまで住宅を造っている。テレビ画面を見ながら、すさまじい住宅の密集具合に驚いた。冒頭の開発事業者の発想とも思える「特別警戒区域」指定を蹴飛ばす安全とはいかなるものなのだろう。住宅地開発の際の安全性の調査は、その気になれば簡単にやれるものだったろう。アルプスの急峻な山というわけでないのだから余計にそう感じる。

当日夕方のニュースでは、すでに地層の種類まで言及されていた。わかっていながら、いわば結果として野放しにしてきた。調べた後の行政側のリードがあってこそ、安全を手に入れられるのではないか。おそらくどこにでもあるように、潜在している問題を掘り出しえないまま、開発容認の方向へすすんだのだろう。丹沢湖のキャンプ場の河川敷無許可使用の行政指導(6回やったと)といい、どうしてこうも事業者の「規制」に優しいのだろうか。


平和と安全を守るためにと戦後をひっくりかえすようなことに執心の政権だけれども、国民の生活の安全や平和な生活のために、さっさと手を付けるべきはここにもある。