2024年1月26日金曜日

柿不足症候群

 最近、柿を食べていない。手に入ること(貰う)が少なくなってしまったのが一番の原因。噛んだときに口からこぼれだすような、熟した柿を食べることはむずかしくなった。ひところはいただいた柿を毎日食べて、胃がおかしくなったこともあった。固いものもカリカリとかじりつくのが食べ応えがあって好きだった。干し柿はあまり食べなかったが、出かけた折々に店で見て回っても出ている数が少ないし、だいたい高値で小さい。「おいしさ」を優先して高い柿を食べる気はあまりないので、もっぱら我慢の身の上になっている。

 旅に出たときによく柿の木を見る。柿の木はたいがい実が付いたままになっている。これがどこでも見られるので、どうしたことかと思っていたが、どうやら高齢化が理由らしい。だいたい農家の庭先か畑の端っこに植えてある柿の木が、刈取られた田んぼや畑にたたずんでいるのを見ると、「絵になるナア」とカメラを向ける。この時ばかりは実が付いていた方がいいと思うのは、勝手なものだと言われそうだ。

 柿渋を防水のために釣り道具の魚籠(竹の籠)に塗って利用したことがある。竹を編んだ造りなので、釣った魚を入れると竹が水分を吸ってしまう。そのための防水で、魚を腐らせないための抗菌作用もある。柿渋は「防腐、防水、防虫、消臭、抗菌、抗ウイルスなどの効果があるとされ、古くから日本人の暮らしに取り入れられてきました。カキタンニン柿渋の主成分であるポリフェノールで、インフルエンザウイルスやノロウイルス、O157などの病原菌を不活性化する抗菌・抗ウイルス作用があると考えられ⋯」との紹介もある。

 農家のコメの収穫が終わって一段落したころに、柿渋をつかって蓑傘に塗ったりしていたんだろうと思うと、柿と人との間柄がとても濃かったのだと想像できる。現在商品化されているものはどこまでの効果があるのかはわからないが、「飲む」ものもあるとか。そこまで突っ込む気はないが、柿の木の実が着いたままになって、クマの餌場になっているのはどうにかできないものだろうかと、行政が補助金だして起業家を募るはどうかなどと余計なことを考えて⋯。








2024年1月19日金曜日

政治の激震は…激震にはならないのか

 ツイッターでハッシュタグ♯をつけて「検察しごとしろ」という投稿が広がっている。敷居を下げても、起訴に持ち込むということができないのかという論調もでていたから、そう考える人は多かっただろうと思う。派閥解消というルールを自ら作りながらご破算にしてきたことも、信頼できない対象だし選挙に金がかかるとの公然とした主張にも驚く。それならやめればと反論できる。実際政党によっては、自前で選挙をやっているところはある。金と利益誘導でするのが選挙ではない。政治献金と税金からの政党補助金、そのうえの金集めパーティー、裏金キャッシュバックで泥に染まった政治はもういい加減にしてもらいたい。

 経団連の戸倉会長が原発再稼働と関西万博を勧めようと熱心に動き回っていることが報道で分かる。世論に逆らって「経済成長」のために頑張っているということになるのだろうか。経団連は政治の不祥事にはなにも言わない。当たり前と言えば当たり前だが、だから経済界の要求に沿う政治に「金」をながすのもそうだし、国民の苦難は後景にしても、企業のためになることはなんでもごり押しするといういやらしい態度だ。

 ここにきて甘い検察の追求で、派閥の解消という問題を焦点にした「すり替え」が横行している。派閥を解消したからと言って、またぞろ時間がたったら元に戻るだろうなと誰でも思うし、できるなら派閥よりは政党の解散の方が気分ではすっきりしていい。だいたい裏金と表される「悪事」の事実は、ちっとも反省する態度にはなっていない。支持率を見ながら動き回るだけのさもしさ。

 「3人集まれば派閥ができる」とかいうもっともらしいことを、哲学めいていうのは不届きだ。政党内の民主主義は難しくてわからない点もあるが、少なくとも一致した態度でないと信頼度は下がる。何でも言える民主主義というけれど、政党の論戦では皆同じ見解でなくて、黒と白の真逆の見解を突き付けられたら、突き付けられた方が評価に困る。それだけで論争にスキができてしまう。この政治に対抗するのは野党なのに、対抗すべき体制ができない。まさにどろどろの政治になってしまった。この間、政治資金規正法と政党助成金の問題がテレビでも取り上げられてきた。これらを正す絶好のチャンスだと思うけど。

2024年1月12日金曜日

能登地震の報道を見ながらため息ばかり

 秋田県知事が能登地震への自衛隊派遣が遅いし少ないじゃないかと言っている。ずっとテレビ報道を見ながら、そういう感じがしている。NETでは「山がちな能登半島の場合、道路が寸断され、海面が隆起して港湾が使えなければ、陸路も海路もそう簡単には使えず、部隊を大規模に展開する平地も少ないという事情から、同時に大人数を投入することが困難であった事情は斟酌されるべき」といった言い訳派の意見もでている。

 柏崎原発の早期稼働をせまる経団連の意向があって、被害の状況を少なく見せたい→大騒ぎしないようにしろという意志が働いているとの意見もある。

 初動が遅れあとから派遣人数を何段かで増やしていったのは、熊本や東日本震災の時と違った「事情」があったのには違いないが、47億円という予算問題も含めて「検証」しなくてはいけないような気がする。志賀原発は停止中であっても外部電源喪失、油漏れなど問題のある状況があった。再稼働に向かうためにはマイナス要素には違いない。またぞろ「隠し」策でやるのは常套手段なので、疑いの目を向けざるを得ない。

 冒頭で言っている「山がちな能登半島で道路が寸断」の状況は、福島の事故のようなことが起きたら避難道路は使えないということをはっきりさせた。でもだからこその早期の対応が考えられるべきで、2日には時事通信社のヘリコプターが飛んで状況把握ができていたはずで、立ち上がりはできたのではないかという気がするし、能登空港は使えなかったのか?とも思う。

 この主張(JBpress)は「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」というタイトルであからさまに、意図を語っている。能登は地震が始終起きていたのに、その備え「食糧、トイレ、水、生活必需品の備蓄、緊急時場合の対策」などができていたのだろうか。報道を見る限りではそれはない。つましい暮らしをしている地域の負担としては難しいと思うが、国家予算から手当てをしても対策が取られるべきことではないか。活断層のある場で生活しているのは、これまでの時間軸の中での結果であって、その責任を取れというわけにはいかないだろう。高齢者が50%以上という社会は、生産性がないから切り捨ての対象なのか? 

「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」

2024年1月8日月曜日

新年が新年にならない出来事が起きて

 受け止めきれないことが早々に起きて、頭で整理しきらない。でも否定的な出来事は自分の頭から除外するのが軽くすることにはなる。そうできるか?と問われてできる人間はいる?いるかもしれない。いやなことは忘れるに限るし、それよりましな楽しみに突っ込んだ方がいい。ただそれを引いて良しとすれば社会は絶望状態になる。己も絶望社会に身を置くことになる。

 今年はどういう年にしようかと考えるゆとりもなく、能登の地震が起きた。能登には先輩に連れられて4回写真撮影に行った。輪島の朝市にもお邪魔して写させてもらった。先輩は前回撮った朝市の人たちの写真プリントを渡して、撮影させてもらった「お礼」を表していた。おばちゃんたちが優しい顔をしているのはそのせいだろう。魚を下ろしている写真は、タラを下ろしているところで、写真をもらったお礼にと、刺身にタラコを混ぜて「帰りの列車で食え」といただいた。これが絶品だった。

 住まいからリアカーを引いて市場まで行くが、住まいのほうは焼失したところではないかと思う。ともかくなんとか無事でいてほしいと祈るのみ。撮ったものが「記録写真」になってしまうなんて御免だ。












2024年1月1日月曜日

年が明けてまた来る艱難辛苦

 去年のブログのタネ=テーマとしてメモしておいたものが残っていて、片付け様がなくて困っている。別に消してしまっても、だあれも困らないのに根っからのケチなせいで、メモが所在無げに残っている。ブログの下書きに思いつきがあった都度書いているのが、ホコリのようにたまっている。タネは発芽させないと実らないのだけど、結局自分の手にかかることだけで可能になる以外は、結局そのまま手抜きになるものだから、顧みることがあまりなく育つことはない。

 文章はあれこれ考えをまとめて、不足の知恵を調べて何回か見直しして、時間をかけてできあがったのちブログに掲載する。金はかからなくても、それなりの労はある。たまったテーマが、大掃除に間に合わなかったので、メモに少しだけコメントをつけてお茶を濁すことにした。

 □金の行く末 電子マネー

 ポイント攻勢がすさまじい。スマホに取り込んでいるが、クレジットだの電子マネーだの、なんとかPayだのと、やかましい程だ。それにお店では現金決済するのに肩身が狭い感じになってきた。10円玉で小遣いをもらった決済はもはや死語か。

□へたくそな片付けは自分の脳のせいか

 パソコンだと「削除」ができて、それゆえせっかくのファイルもうっかり消してしまうこともある。断捨離が指先の削除で片づけられることではいいのだが、なにを片すのかは自分の脳以外に判断はつかない。ともかく「取っておく」ことになってついつい溜まってしまう。(なにせ、忘れてしまうのだから)。

人生終局なのだから自分以外(つまり関係他人=家族)の手をわずらわせることになるのだろうか。

□用件を文字で書く革命

リハビリのときにもらう領収書の裏側に文字を書き込める。A5サイズだかまあまあのメモ用紙としてよい。なんの気なしに太くて真っ黒なボールペンで書き込んでみた。それがなんとなく新鮮だった。最近メモのほとんどをスマホとパソコンに頼っているので、文字を書くことがない。それどころか音声で書き込むこともできる。ところがそのメモを、いったいパソコンのどこのファイルにしまったのかを忘れてしまうことだってある。A5領収書の裏に書き込んで、掲示板に挟んでぶら下げたら、とても新鮮で記憶を呼び覚ますのにも悪くない。もっとも以前はそうやっていたものだったけど。

 

長くなるのでとりあえず停止。