2018年12月21日金曜日

辺野古の海へ土砂投入の「愚かさ」

 基地問題などに言及すると「政治的発言」といって排除される。都知事選の際の石田純一立候補にあたっても、メディアを使ったあくどい攻撃に晒し、仕事を干してしまうなどえげつない方法を使って断念させた。政治に対して自覚的に意見を表明するのは、タブー化して、排除の対象に祭り上げる。

 企業はもちろん選挙の際には投票行動にさえ、組織の干渉をうけるし、公務員に政治活動の自由はない。それこそ憲法が保障するところの権利は、存在しないかのような社会になっている。

 「ローラ・りゅうちぇる」の沖縄辺野古をめぐるNET署名呼びかけ発言も、ごく普通の感覚なのだと思えるのだが、SNSのフォロワー数からして、影響は少なくない。だからこその「攻撃対象」ともなる。世論調査も辺野古埋め立てに反対の数が多くなってきた。「愚かさ」などと言うと不遜にもと言わないと、引っ込みがつかないが、一度壊した自然が元に戻ることはない。「元のように」戻るのには膨大な時間がかかる。

 東京湾はかつての干潟は、ほとんど埋め立てられてしまった。漁業者は仕事をつづけられなくなった。魚の保育園、幼稚園である干潟が、三番瀬や小櫃川河口干潟しか残っていない。魚も減ったのだから当然漁獲量も数分の一に減った。最近では木更津周辺のハゼも減り、アサリも他から取り寄せたものを撒いて育てている。ハマグリは絶滅危惧種になった。

 「自然を守る」一点でさえも、埋め立ては容認されない。しないのがこれまでの環境破壊への答えだろう。基地問題の有り様も「日米地位協定の見直し」要求まで高まってきた。造られたタブーを破る時期に差し掛かってきた。

ローラ「干される」心配は的外れ? 辺野古発言はむしろ「プラス」も