2019年7月30日火曜日

高清水自然公園「ひめさゆりの里」、花も人も元気

 見事に晴れ上がった空のもとで、高清水公園のひめさゆりが盛期を向かえていた。園を巡る通路に敷かれている板の道を、見事な咲き映え見ながら、言葉が行き交っていました。

 高齢者が多くグループで楽しんでいる。カメラを持った人は三脚を抱えて、歩く人の邪魔にならない撮りどころで、元気のよい花を探している様子。景観を楽しみつつ、シャッターチャンスを拾いながら、集合時間まで撮り歩いた。

 最近の撮影旅の行程では、どういうわけか雨か、雨に近い空模様にさいなまれていましたが、この日はこれでもかと言うような、素晴らしい天気に恵まれた。

 天気が悪いときは、写真のバリエーションにはなるが、カメラが雨に濡れないようにと、雨用のスタイルを準備する面倒さがついてくる。やっぱり天気が良いのはいい。気分が良いし、カラーの写りも「らしさ」がある。









2019年7月26日金曜日

オリンピックの盛り上がりで思うこと

 簡素なオリンピックなどどこ吹く風で、あと一年の掛け声で世間が盛り立てられている。今日の朝日新聞では「五輪の果実『地方にも』」の題字があった。結局「商業主義」が前面で、オリンピックの価値が利用されている。そのためのメダル獲得至上主義が煽られる。

 経済の下でスポーツが組み敷かれている構造だ。これが本当のスポーツなのだろうか?参議院選挙の結果は、「令和」騒動を利用しても政権の票を上乗せることはできなかった。

 これまでの政治のツケとウミが全部噴き出してくれば、いかに表面を糊塗しようとしても無理だということだろう。そしてまたオリンピック利用だ。「憲法改定」のたくらみの後ろ暗さを、隠すチャンスと考えているのだ。

近所の区掲示板

 岩手県鶯宿温泉の「桜のひろば」公園

「東日本大震災記念植樹」の文字が見える



2019年7月24日水曜日

終わってから賑やかな選挙報道


 投票率が下がって、他人事のように「投票率下がりました」を言うテレビ報道をみて、怒っている人は多い。国の行く先を決める選挙は、どこの国であっても民主主義の制度として基本となっている。この静かな選挙期間は、選挙の争点をあえて周知しないことに主眼を置いているとしか思えない。

 公職選挙法は、政策を論じる何もできないに等しい活動制限をなしている。そのうえでのマスコミの「自主規制」であり、飛び出せば官邸からの圧力も考えられる。それでいて選挙期間に入るとすぐ、選挙の結果予測を既定のごとく報道する。選挙期間の論争に水をかけて予測を固定化させる役割を果たす。

 新聞社の記事は書いた担当者が記載されるようになった。書いた記事の責任を負うことは必要であっても、担当者の責任にしておいていいのか。もちろん全面的にとはしていないだろうが、昨今の「ネトウヨ」などの攻撃にさらされるとなれば、斟酌やら忖度やらの捻じ曲げた記事内容になっていく恐れはある。

 未成熟な論議で投票を迫ることには無理があるし、憲法改正、消費税増税、年金などなど日本の未来にどう政策をとるのか、描くのかを徹底的に知らせるべきで、その環境が整っていけば投票率はおのずと上がっていくのではないかと思う。


ツイッターから

ちょっと、TBS、小泉進次郎を取り上げ過ぎじゃないか? 選挙中はTBSに限らないけれども、他局も「公平」の名の下に全然選挙報道しなかったくせに。 終わった途端、やっと選挙報道したかと思いきや、進次郎特集。 なんなの?いい加減にしてよ!


 





2019年7月23日火曜日

駒止湿原もちょい寂の様相


 友人の案内で駒止湿原を歩いた。昭和村と南会津町の旧:田島町、旧:南郷村の境界付近に位置し、ブナ林に囲まれた標高1100m、面積約150haの湿原で国の天然記念物に指定との案内がある。

 7月上旬頃にワタスゲ(白)、ニッコウキスゲ(黄)、ヒオウギアヤメ(紫)の 当たり年と最盛期が重なる「三重奏」を堪能できる年が十年に一度程度あるとのことだったが、残念ながらそれには巡り合わなかった。ほとんどワタスゲが見られただけだったが、シダ類が薄緑色に繁茂して鮮やかな様子が記憶に残った。













2019年7月21日日曜日

花の散り際はやっぱり寂しいものだ

 花の散り際とはそう目立たないものだという気がする。目立たないのは人の身勝手であって、見ていないという方が正解か。咲いた花も次のなにかの植物の時節のために席を譲るのだろう。うまい具合に入れ違って生命をつないでいく。

 手にかけられた花の盛りは、沢山の人に見せ場を作って謳歌のときを過ごす。そのときは自然界の中の一つとしての存在は否定されないものの、盛りを過ぎてしまえば終了のレッテルを張られて見向きもされなくなる。また来年のためのなにがしかの人手を与えられて、また翌年の準備行動につらつらと移っていく。

 人手によっていくのも一面花の命の営みとしてはわかるが、しょせん人工「化粧」を施されたものと思うと何か気の毒でもあり、もっと言えば人の勝手な介入ととれなくもない。
















2019年7月17日水曜日

紫陽花が有名な寺だという高林寺、盛りが未だでも

 アジサイで有名なところとの案内で、二本松市光林寺に立ち寄る。まだ早いようだとガイドさんが、がっかりしないように重ねて説明する。だいたいなんでも花の咲くのは時期を合わせて狙っていくのは難しい。訪れた時の状態を楽しむ以外ない。咲きかかった花も悪くはないし、アジサイがだめならほかのものに目を転じてみるのも、楽しみ方だろう。そのときはなかなか見えかったものまで、見えてくるという余禄を手に入れることもある。













2019年7月12日金曜日

サクランボ狩り、たくさんある種類ほど味分からず

 東根市のサクランボ園で「食べ放題」とはいえ、朝食のバイキングをしっかり味わった後の間もない時で、食欲はあんまりない。策略ではないとは思うが、牛舎から引っ張りだされた牛のごとく、指定の場所につれていかれて、採れたてのサクランボを口に頬ばった。

 従妹が東根のサクランボ農園で手伝いをしていたが、そのころ教えてもらった「サクランボの種類はたくさんあるんだよ」の言葉を思い出した。食べたサクランボはたぶん佐藤錦だろう。