2013年6月23日日曜日

携帯電話15年6カ月の付き合い

 携帯電話の契約内容を、NETで調べてみたら156か月の付き合いになっていた。購入のきっかけは、身内の病気だった。ひところは便利に使っていたし、子供たちとの会話もあった。子供に電話を掛けたら、別の部屋にいたことがわかったという、馬鹿なこともあった。どこに行くときも携帯がないと不安みたいな状態になっている。特に待ち合わせの時などは、欠かせなくなっている。神社のお守りより、お守りになっているわけだ。

 だから、文句を言うと罰が当たるかもしれないが、固定電話を離れて携帯電話に費やしている金額は馬鹿にならない。今は利用料が減っているが、おおよそ月平均4000円の使用料とすると、156ヶ月で80万円近くになる。家族4人が使っているから320万円払ったことになる。いまは、こどもたちもスマートフォンに換えているから、月の利用料はもっと高い。

 問題は、これにつぎ込んだ少なくない財から、十分対価を取得できたかどうかだけれども、それはよくわからない。電話は情報を伝えるもので、必ずしも幸せを運ぶものではないからかな。
 利殖を求めて使っているものでないから、金にも換算できないし、受け取る電話は、マイナーな話の方が記憶に残っている。

 荷電しておいて「いま、しゃべれますか」という枕詞は面白い。固定電話なら必要ないセリフだ。相手が明確だから、立場を考えるのは当然と言えば当然。トイレの最中だったらまずい。
 電車のなかや、病院、観劇の時などいちいち切るのも煩わしいエチケットだ。いまさら、携帯電話のない環境に戻るわけにもいかないだろうけど。もしかしたら、煩わしいこの器具をなくしたらいいんではないかと、チラリと思う。そしたら、固定電話しか通じなくて煩わしさからは解放される。老い先を鑑みるときに、煩わしいことを減らしたいというのも一つの要求だ。
と、思いつつも釣り場では「こっちの方が釣れてるよ」という電話は、必要欠くべからざる情報だ。