2017年5月25日木曜日

空間て大事だね

 岩手山麓と限ることではないが、東京から600キロ以上も離れたところに来ると、隣の人の顔を見るのには、トコトコと歩いて行かなければならない。回覧板を持っていく時でも、ずいぶんと離れているのでほかの人と出会うことはめったにない。住宅がないわけではなくて、家の窓からは片手の数以上の建物は見えるが、どこも土地の面積を広くとって、悠然とたたずんでいる。悠然といっても邸宅風でなく土地値もやすいから、広くとれるということだ。互いの距離があるのが絶対にいいと言い切るわけにはいかないが、この距離のお陰でお互いの干渉から離れていられるわけでもある。

 医者の診療を受けるときには、車を使って20分は走らなければならない。田舎の道ゆえ相当な距離ではある。東京で同じように医者の診療を受けるには、バスを使ったうえに少し歩くことでやっぱり20分ほどはかかる。所要時間は同じほどでも、車は生活の必需品にしなくてはならない。高齢者には「アクセルの踏み間違い」のリスクに襲われる覚悟がいる。よって評価は不便ということになる。人が集まっていない、空間のひろがっているところは、気持ちのうえでなにげなく、おおらかでほっとする「快感」を味わえる。その瞬間は不便さが忘れられる。

 東京では人との距離があまり近くて、馬鹿げたことにぎゅうぎゅう詰めの電車内で、「痴漢」の犯人にまでさせられる危険と隣り合わせる。線路をトコトコと走って逃げる人が、ほんとはやっていなくても、「そういう方法が一番いいのだ」ごときのテレビ報道で、のせられるのは哀れな都会の一面だ。人間と人間の距離をある程度とるのは必要なことだ。どのくらいとは簡単にないだろうが、過干渉の状態ではストレルは高くなるだけだし、職場でも様々な圧に取り巻かれ、ゆったりする休養なり時間なりが確保できるのは、まずもって一握りの人たちだけだろう。
ツイッターの投稿を拝借した。断固とした態度が大事らしい。