2013年1月14日月曜日

暴力、体罰は否定されるべきもの


 体罰が問題になっている。連日の報道で、体罰を使った教師が非難されている。暴力を使うことはいけないことだというのは、当たり前のことだ。でも、これには、反論があるのも事実だ。暴力を用いて指導することが教育上許されることだという肯定論がある。特にスポーツ界で有力な指導方法として通用してきた。企業や事業所内でもこういうことがあると、よく聞く。

 日常の社会で大手を奮っている部分を黙認するか否定できない状況に置いてきたという原因がある。戦争と言う最大の暴力を否定してきたはずなのに、軍隊で通用するような「教育方法」をいまだに肯定している現代の闇の部分かもしれない。

 人をいたぶって優越感や喜びを感じるなどは、下の下だと思いつつ、さてこの部分を完全に抑え込むことができるのか。国防軍などというものができて、日常生活の中に入り込んで来たら、国同士の紛争にならなかったとしても、暴力の評価は格上げとなる。争いの解決に暴力を使うという馬鹿げた昔の世の中に逆戻りだ。

 暴力をつかった「説得」は高じていく以外にない。納得できないことをむりやりやらせるわけだから、「納得」するまで力を使うことになる。やられた方は重大な傷を負う。やった方の人格も損傷していく。しかし、成果が上がるうちは外に出てこない。自殺がなかったとしたら…。桑田真澄さんのように、シッカリと否定できるという社会を、作っていくことは大変だろうが、人がもっている(だろう)狂気を封じ込めるための努力は大切だと思う。