2013年6月27日木曜日

五箇山、相倉の校倉づくりの里から狼煙漁港まで(5月26日)

 二回目の訪問になった五箇山・相倉は少し観光のトーンが強くなったみたいだ。でも、民宿の奥さんお話を聞くと、深刻な状況が浮かび上がる。どこにでもその悩みはつきものでもあるが、若者は職を求めて出て行ってしまうし、人手の減少と高齢化は稲作の維持が困難さいなって、観光農園として繋ぐ以外にないということに至っている。校倉づくりの屋根はいまは「結」もなく、農林組合が順に定例的業務として回しているという。好き勝手に訪れて「らしさ」を要求しながら、そんな話を聞くとこころ穏やかに写真を撮って伊r場合かと、駆け出しの写真ヤはなにか反省を迫られるように思う。そういうところが見える写真が、撮れるものかどうか、自信はない。








 五箇山を後にして、狼煙(のろし)漁港に向かう途中で、名もない港(本当はあるが思い出せない)に寄って、港の風景を一通り撮り、その町か部落の一帯を歩き回ることになった。通りかかったお母さんが「写真撮るなら、こっちの高台から見ると港が見えるよ」と親切に案内してくれた。内心、イヤーこの古い町並みから見えるものを撮りたいんだよ、と声を飲みこんで、案内に従って台地に上った。


 神社(神杉神社と後でわかった)と言われて登ったら、いつの間にか古い寺に入り込んだ。由緒は感じるが被写体以外のものを撮るだけで、どんな歴史を抱えるところなのか、調べるゆとりはない。だからこういう時に、後でどこだったかなと、困ることが出てくる。車までの帰り道は、イヤー港町じゃないよねーといいながら、どういう町なのか解らず、一様に想像がつきかねるという感想だった。