2016年12月23日金曜日

不時着と墜落への「御意」

 まったくの笑い種だ。墜落はオスプレイの持っている個性だといってもいいほどの危ない飛行物体。実際よく落ちるわけだから、危険だとアメリカ国内でも見られているものが、とうとう落ちたか当然にも落ちた。これがマスコミの言葉では「不時着」とかまびすしく宣伝されている。これが墜落でなく不時着という出元は政府。

 それぞれの定義はさておくとして、落ちるというもっぱらの評価をしたものが落ちたのだから、これは異常なできごとに違いはない。文学者はこれをなんと表現するのか聞いてみたい。「殴り込み部隊」という異名をもっているオスプレイは、その名ゆえに「敵」への圧力として効果をもっているのだろうが、仮面のために「殴り込み部隊」という表象も公式説明では消し去ろうとする。薄明りの中でオスプレイの強さ怖さを見えるようにしておくというわけだ。

 発着訓練でもよく落ちるが、今回は給油の訓練で落下した。しかし米軍高官の「住宅地に落ちなかったことを感謝すべきだろ」という言葉はびっくりの度を越えた。リスクは日本が背負うのが当たり前という意識だ。これじゃやっぱり「占領軍」じゃあないのと思う。「日本を守ってもらうための基地」が、もともとアメリカが日本を守るという意図は、最初から置かれていないし、米軍の利用は「戦争を仕掛けるため」だったとその経過が物語っている。

 その虚構にすがって、アメリカのなすことすべてに「御意」としか反応できないとは、なさけない見識だ。危ないよという批判は今回のことで、本当に危ないのだということが実証されたにすぎない。政府がオスプレイは大丈夫だよ、危なくないよと説明し全国の基地への配置を認め、米軍の訓練もやり放題の野放しにしてきた。うわべは条件をつけてもアメリカは守らない。ノーは存在しない。

 おまけに新年度予算で100億円近いオスプレイを4機も購入しようとまでしているのだから、これも「安全神話」だというより「盲動」というしかない。ついでながら、来年購入しようとするF35戦闘機は不具合で長期に製品化できなかった。こちらは1140億円以上するしろものだ。同様に危険なしろものだ。これは6機買い込むということだ。沖縄の問題だけでない。これがよしとされれば、日本中の基地とその周辺で墜落の危険を招くことになる。