2018年11月28日水曜日

断捨離と対峙する老いとの闘い

 「ぼーっとしている時間」も当然ある。横になって、録画したビデオを見ながら居眠りをよくするが、「録画の残り時間が5時間を切りました」などと余計なことを教えてくれるから、溜めまくった録画を見ないわけにもいかない。ところが、ビデオで撮ったものを見終わったから「消去」するという作業がすすまない。これ忘れたらもったいないという気にさせられる。

 消すためには必要な情報をメモることにする。そうしておいてみたビデオを消すところまではいいが、そのあとメモを見て「なんだっけ?」ということになり、NETの検索にかけるというイタチごっことなる次第。

 頭に残らないということは、よくあることと言う話になるが、自分の身につかない知識を、どこかに保存するということで、安心感を得ることになっているみたいなところがある。

 パソコンにしまってあるファイルも同じようにある。役20年にわたって、新聞の記事を切り抜いたものや、旅先で手に入れたパンフレット、これまでの様々な記録などだ。つりの会の記録は「50周年記念行事」で役立った。とはいえ役だったものという意味では、そんなにないのも確かだ。これも確かに断捨離の対象でもある。

 ただし、ちまたの「家からあふれ出て、近所迷惑なゴミ」とは違って、これはパソコンのファイルなのだから、とりあえずは他人様の迷惑の対象ではない。