2013年5月3日金曜日

岩魚庵渓流つり余分な話 「耕して衣更着の里に和す」

 渓流釣りの三日目の朝、岩魚庵近くの碑貫川河岸にワサビ菜があるというので、3人で散歩がてら行って見た。サンダル履きで川岸に近づけないので、別れて写真を撮っろうと近くの橋を渡った。少し歩くと「大沢地区圃場整備の碑」を見つけた。昭和54年、田んぼの区画整理をしたのだろう、その記念碑らしかった。文言が「耕して衣更着の里に和す」。この文言の「…和す」に気が引かれて一枚撮った。

 衣更着(きさらぎ)とは如月と同じ意味だということで、旧暦2月をなぜ文言に持ち出したのかが解釈できなかった。ネットで「衣更着の郷」で調べてみると、れっきとした地名であることが解った。「稗貫郡衣更着郷」という名称が、「大迫町妙琳寺所蔵文亀3年の阿弥陀如来真向絵像裏銘(本願寺9世実如の判あり)に《稗貫郡衣更着郷 截牛村奥州」》と2行に記されているのが初見」ということだった。

 文言の意味は、田んぼの整地が終わって、衣更着郷に一緒になったということだろうか。出来上がった田圃を耕してこの地で生きていこうという意味合いもあるような気がする。「和す」はいい言葉だ。


衣更着郷(中世)