2013年9月23日月曜日

限界集落訪問の旅

 義父の故郷は新潟の大渕、家を持ったのは中の俣という直江津から山に入ったところ。身体の自由が利かなくなってから、少し安定した状態なのがきっかになったのか、時分から行ってみたいと言い出した。しばらく前まではもう行かないと言って、家族旅行で近くまで行って、すすめられることがあっても、「行く」ということはなかった。

 高田から山道に入って、それほどの傾斜はないが車が一台通れるだけの広さだ。さすがにいまは舗装がしてあるし、まれに車が行き交う。もう何年前だったか子供がまだ小さい頃、砂利道を延々と走ったことがあるのは記憶にある。

 中の俣で昔交流のあった人や親戚と合うことができて、車椅子のまま会話を交わした。そのご婦人も背中が90度近くも折れている。連絡をしないで訪問したから、庭先で一時の会話を交わしただけだったが、嬉々として話をしていた。生家は寄りたくない気持ちらしくて通りかかっただけだった。見回す集落は、もう少しで朽ち果てそうな家がいくつも目に入る。

 また一つ山越えをした中の俣は、かつて一家を構えたところ。農業に見切りをつけて東京に出てきたが、田んぼや田んぼに植えた杉、屋敷跡がそのまま残されることになった。何人かの知り合いと合うことができた。ショートスティに行っている人もいた。70歳以上ばかりだよと、葬儀から戻った連れ合いの友人が話していた。

 限界集落とはテレビでも見聞きすることが増えたが、身近に感じることになった。田を持って生業としている人はもう僅かということだった。