2011年10月10日月曜日

三陸を見て心収まらない

 昨日の三陸の様子は、なぜだかの解明はできないが「一度見なくては」という思いがずっとあって、機会を待っていた。岩手山麓の仙人も、「邪魔にならないか」という心配をもちながらも、行ってみたいという思いだった。

釜石の港


 例えるものなどない状況を目の当たりに見て、気持ちの整理のできないままとりあえずは、そのまま、「見る」ということに徹することになった。宮古から南下して陸前高田まで走り抜けた。
 今日は休養日として、明日から秋田にハゼを釣りに行こうという約束になった。宮古方面のハゼ釣りは今回は、「どうなのか」という自粛ムードだった。秋田ならということでまとまった。

 従姉妹の竿を用意するために、長い竿を短くして使おうと、穂先を縮めてリリアンをつけ、手元のグリップテープを巻いてハゼ用の竿を作り上げた。釣り道具屋から仕入れた細いキャップを少し切り取って、太さを合わせた。キャップが少し外れそうなので、根付(それも桜の枝を削ったもの)をつけて出来上がった。4メートルちょっとあるのでまあいいだろう。仕掛けを2本用意して準備完了。

津波の爪痕を見る

 6時に出発して、宮古方面に行こうと昨夜相談が整ったので、早起きするが、親父が起きなくて7時発となる。宮古の町に着くと、何も変わらない様子で、どうしたんだろうと思ったが、通り過ぎてしまった。


 南下するに従って被災の様子が見えてきて、生々しさに圧倒される。報道で見た当時のものすごさが変わって、破壊された車の集合場所や破壊された家や商店の建物の骨組の残骸と周りの空き地など、人気が少ない「ゴーストタウン」が、南下するに従ってひどくなっていく。




 大船渡の港の船は、岸壁するすれすれまでの海面に浮いている。一見なにもない雑草地が、よく見ると作付けできなかった田圃だとわかる。岩手山の仙人たちと、「いつも行っている山田町まで行ってみたい」と言いながら、45号線を南下すると、道路は障害がなく走行できて、織笠川までゆくことができた。


 小さな港を海側に位置する山田町は、土台を少し残すだけの荒野。川で釣りをしていたおじさんは、「船を二隻もっていたけれども、流されてしまっていくら探してもわからない。自分は釣りが好きだからこうやって釣りをしているんだ」と話していた。