2012年3月4日日曜日

魚殖やす植林運動

 北海道漁協婦人部が「お魚殖やす植林運動」を始めたのは1986年だった。自然が守られ、漁場環境を保全しようと「合成洗剤追放運動」「海岸清掃活動」を始めた。


 森と川と海はその保全が漁業者にとって、大きな課題だ。一昨年まで行っていた石巻の船頭さんが話していたのもそのことだった。都市化がすすみ、森が荒れてきたとき魚が少なくなってきた。昔は松島に点在する小さな島でキノコがとれたと。


 今日のテレビ番組で、小田原の蒲鉾協同組合が相模湾の山間部の森の保全を始めたとの番組報道をしていた。間伐をして荒れた山間部を手入れして、海へ養分を流れこむようにすることをねらう。


 漁獲量が少なくなってしまった魚種を利用した新しい蒲鉾の開発と合わせて、「森と海」の結合を展望した取り組みを目指すという。小田原市も関与して積極的にすすめているという。


 1987年に制定されたリゾート開発法で山、海、川はさらに荒らされた。経済成長のためという名目で自然を変造破壊したツケは今も残って悩ましている。


 江戸時代は幕府の殿様の食事とはいえ、魚を生かすための森を保全するとした施策があった。真鶴半島の森がそれを引き継がれている。