2018年12月24日月曜日

雪との戦い発祥地の故郷新庄市


12月初めに墓参りに行った新庄市で、「雪の里情報館」に寄り道した。そこに雪害対策の発祥地だったことが記録され、資料が展示されていた。雪(害)の対策を国の政治問題として取り上げた活動が大正時代に起きていた。当時の雪国の困難な生活を救い出すという運動が広がった。雪国で、安心・安全で快適な生活を続けるためには、雪氷技術の開発・普及が必要だと、現代に継がれた取り組みが提示されている。

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雪国とそうでない地方ではあまりに格差がありすぎる・・
山形県の現村山市出身の代議士、松岡俊三は雪国の人々を救いたいと運動を起こしました。これが雪害救済運動です。松岡は県内各地を調査しながら講演を行い、人々の意識を高め、皆で雪害を克服しようという気運を高めました。そして農林省の機関である、積雪地方農村経済調査所を誘致したのです。
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大正15124日のことです。松岡俊三代議士は、山形県大石田町での演説会で風邪をこじらせて、肺炎となり、山形市の済生館病院に入院しました。そこで彼が見たものは 、次々と運ばれてくる乳幼児でした。寒さと栄養状態、保健衛生が悪いためであり、その根源は「雪害」だと気づいたのです。雪国の人たちが背負っているハンディキャップを支援する法令上の施策がないことが問題で、政治的に解決することが、自分の使命であると決意した。 
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大正時代の終わりから昭和10年ころは、凶作と慢性的な米価下落で、東北農村はかなり疲弊していました。小作争議が頻発。また、世界大恐慌により、たいへんな不況となりました。生活が楽でないため、娘の身売りなども頻繁にありました。
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 豪雪地帯だからこそおこる貧困や格差を是正させるため、政治問題化を図った歴史を持っているとは、我が故郷が持つ歴史に鼻が少し高くなった。また、克雪問題に取り組んだ「日本一の健康村」沢内村の紹介があり、雪の学術用語が雪国で普段使われていた呼び方を、採用しているという記述も面白いものだった。