2012年8月15日水曜日

終戦67周年の思考


 戦中戦後を生きてきた普通の人=義父が集中治療室に入った。
 今日の朝日新聞のトップ記事は「橋本新党旗揚げへ」だ。日本の経済にも生活にも大きな影響を与える消費税増税強行しか「決められない政治」を進めてきた政党から、またぞろ「あたらしい政党づくり」が画策されている。しかし今度はちょっと異質だ。

 義父が持っていた切り抜き(コーピー)があった。
 昭和231123日読売新聞社説 東京裁判の意義
…いかなる場合でも戦争は決して外部的必然のみによって観るものではない。しかるに彼ら野心的軍人や煽動政治家は、常に戦争必然論を唱え、いわゆる危機が国民の頭の上に覆いかぶさっているような錯覚を与え、遮二無二国民を戦争に駆り立てたのだ。…だが、もしも国民が本当に民主的精神を体得していたならば、また、もしも言論の自由が本当に認められていたならば、断じて国民は彼らのためにこのような戦争に投げいれられなかったであろう。…

 戦争を起こしてはならないという決意を表したものだと思う。そして民主主義の大切さを言っている。67年たった時点でこのことが、十分生きているのかどうかを考えざるを得ない。

 「市政改革プラン素案」について、橋下大阪市長は「非常に重要ですので、どんどんご意見をいただきたい」と述べた。これには過去最多の2万8千件の意見が寄せられ、うち94%が反対の声でというもの。

 「素案」は、敬老パスの有料化をはじめ、全世代にわたって市民施策に大ナタをふるうというもので、橋下市長の公約にはなかったが、当選したら何をやってもいいと言う。「パブコメ(公募した市民の意見)は読んでいない。(報告は)詳細には聞いていない」。

 「パブコメは文句を言いたい人だけが言ってくる仕組み”賛成する人はわざわざ出してこない。市民も暇じゃない」と言い、提出した市民を暇人よばわりし。その上「それが市民の声と言ったら、政治は機能しなくなる」とま言い放った。


「戦争」が表立ったテーマにはなっていないが、民主主義をなんとも思わず真っ向否定する、このスタイルが国政にまで反映するとなると、非常に危険な政治を迫ることになる。自分の所属する政党が壊死していくのは、国民の意向を反した政治信条が誤っていたことで、なお看板を塗り替えて、「民主的精神を体得しない」となれば、大きな負の財産を背負った戦争の反省は、無に帰すことになってしまう。