2013年8月30日金曜日

夢が夜開いたひとたち

 「15,16,17と私の人生暗かった…♬」と随分音が流れている。三日も続けて同じネタで報道されると、もうちょっと何とかならないのかと余計なことを考えてしまった。
「圭子の夢は…」の暗さは、60年安保の後の挫折感を体現したという「見方」が言われていた。当時はそんな状況だったのだろうか。

1966年に発表された「夢は夜ひらく」は、園まりが歌った。1970年に後発した「圭子の夢は夜ひらく」とも大ヒット曲だった。歌は世につれているといわれているから、時代の波を感じてのことなのだろう。

 園まりの「夢は夜ひらく」の方が頭に先に入っていたし、「雨が降るから合えないの 来ないあなたは野暮な人 濡れてみたいは二人なら 夢は夜ひらく」という歌詞は、当時の若さへの夢を載せてくれていたような気がする。好みから行けば、暗さを強調されたほうも、斜に構えたかっこよさのようなものを感じるが、カラオケでも最初の方に歌う曲でない。
当時ヒットした曲をおおざっぱに拾い上げてみた。(基準は自分好み)
                                                                                                   
1966年 大阪暮らし フランク永井
同 年  悲しい酒   美空ひばり
1967年 真赤な太陽 美空ひばり
1968年 友よ(夜明け前の闇の中で…)     
1968  青年は荒野をめざす ザ・フォーククルセーダーズ
1970  誰もい海 トワ・エ・モア
1970年 圭子の夢は夜ひらく
1971年 私の城下町 小柳ルミ子
1971  花嫁 はしだのりひことクライマックス
1972年 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子
1972  戦争知らない子供たち ジローズ

 ベトナム戦争は1975年に終わった。宣戦布告もせず、講和もないアメリカ敗退の歴史を刻んだ。1968年の「友よ」、1972年の「戦争知らない子供たち」がこの戦争の終末期に歌われていたことは興味深いし、1971年「私の城下町」、「花嫁」、1972年「瀬戸の花嫁」とくると、明るさと素直な夢がウケていたようだ。

1966年中の事件
(ベトナム侵略戦争は1960年「幻の」トンキン湾決議で開始)、1966年には反戦平和の声が世界中で高まっていた。日本では1021日「国際反戦デー」が始まった。自民党の田中彰治が国際興業の小佐野賢治の国有地不正入手をネタに恐喝して逮捕されるほか、不正事件が発覚して「黒い霧」解散となった。

航空機事故がこの年相次いだ。
24日:【全日空機、東京湾に墜落】 千歳から羽田に向かっていた全日空ボーイングB727型機が消息を断ち、東京湾の海上と水深20メートルの海底からバラバラの機体と遺体が発見された。乗客・乗員133人全員の死亡が確認された。
34日:【カナダ太平洋航空機、羽田で着陸に失敗し爆発炎上】 羽田空港に着陸しようとした香港発のカナダ太平洋航空ダグラスDC8型機が、滑走路の防波堤に激突、大破した。乗っていた72人のうち、生存者は8人であった。
35日:【英国海外航空機、富士山上空で空中分解】 英国海外航空(BOAC、現=英国航空)のボーイングB707型機が、富士山上空で空中分解し124人全員が死亡した。
925日:【台風26号】 未明に台風26号が静岡県の御前崎付近に上陸し、東海、関東、東北を通過して三陸沖に抜けた。 死者・行方不明者314人。
1113日:【全日空機、松山沖で墜落】 大阪発松山行き全日空YS11型機が、着陸に失敗、空港冲に着陸し、乗客・乗員50人全員が死亡。

 事件ではないが、今評判の「あまちゃん」に出演している小泉今日子は1966629日誕生日だった。