2013年3月2日土曜日

医者が手を放すと石屋の手に渡る


ということわざがあると、聞いたことがあるような気もするが、HP検索にかけてもヒットしなかった。医者から見放されて医療費がかからなくなると、今度は墓石を作る金がいるという意味だと説明されている。「医者」→「石屋」、「見放されて」→「手に渡る」という言葉の彩を体現している。

 日本の文字言葉は、こいう修辞があるのが面白いところで、文言の展開に味があって楽しい。味わいながら意図するところを想像したり、できれば自分で作り上げたりすれでば、文化の香りに触れることができる。「ら抜き言葉」に少々引っかかりをもっている身には、実に痛快な言葉使いだと喝采したいところだった。

 ところが、「ら抜き言葉」は長野県伊那谷で使われており、正しい日本語とされているのだとか。文法が違うだけの理由でダメよと言うのは単純すぎるということか。それに、パソコン、携帯電話、スマートフォンなどの文字打ち込みでは少なくて済むというメリットもあるにはある。時代の要請ともでいわなくとも、忙しい生活には利便があるともいえる。

 でもやっぱりそれではなんとなく寂しい。豊かな言葉と表現を聞き味わうことで、知的な満足感を持つことができる。もっとも、その文言のレトリックを駆使して、人心を丸め込むという悪徳政治家がいるから、気を付けければならないことも確かだ。

 この「ことわざ」は赤旗の水曜エッセイーに登載された記事で、時田昌瑞氏によるもの。この方の名前に記憶があったので、高校時代の同窓会名簿を確認してみた。年齢からもどうもそうらしい。連絡をしてみようと思い立った。