2016年4月29日金曜日

写真展が終わって、来場者の感想を読んだ

 先日の写真展の来場者の感想を読んだ。「共生」のテーマでやったことを歓迎されて(評価)いる記述があった一方、テーマを設定したことによる写真力「減殺」の意見があった。それぞれの写真がよかったからなのだろうと、やや手前勝手に思った。展示場所が狭いとの指摘は、結果としてなってしまったことなので、展示の全体からどうするのかということもあるかもしれないが、展示作品を減らすのはちょっと難しいことなのかも。

 次回(来年)のテーマ付けが、テーマの選択によってステップアップにつながるものなのか(共生というテーマが特殊なものなのか)どうかは整理しなければならないことなのだろうか。「良い写真」の延長線には「個展」でやるという目標の存在が見えてきた。自分のことはさておくとして、力量のある人は考えるべき位置にあるのだろう。

 「共生」に無理に閉じ込めたという感想は、見抜かれたという思いがする。「共生のテーマ」はその意義や範疇の理解が難しかったけれども、Iさんの「なるほど共生なのね」という言葉が、そこまで入り込んでの感想として印象的だった。写真展はテーマを選ばないでもできるのだろうから、決めたてやったことによってこちらの思いが、見た側から捉えられるのかどうかは多様なので、問題になるのかどうか?私の友人は、写真に対する接触経験は様々なので、テーマを見ろよということまでの要求をするわけにもいかないような気がした。

 写真全体に対する評判は良かったし、写真を撮っている知人、仲間には刺激を受けたという感想もあった。友人たちが写真を見ているときは、邪魔にならないように、なるべく集中し観てもらえるようにした。それがいいのかどうかはわからないのだが、目で追ってなにかありそうだと感じたときにはそばに行って話をするようにした。

 ただ、そのときどういう言葉を投げかけるかが難しかった。写真をよく知った仲間には「いいでしょ」ということも言ったが、乱発すれば押しつけにもなりかねないと思って、言葉は慎重になった。 
 
 写真に写っているものについての話がやっぱり一番多かった。テーマを決めたことで、そこを含めた感想まで引き出すのは難しいことだったが、今後の友人との付き合いもあるので、もう少しわかってくることもあるだろうと思う。テーマを考えあったことは、写真力をひきだす効果はあったのだろうと思う。自分自身何回も写真を見て回って、写真の難しさはもちろん感じたし、作品の明るさ・面白さ・各人の志向の異なり・着想の意外さ・社会性への踏み込みなど、総じて楽しい写真ばかりで、満足した写真展だった。

2016年4月23日土曜日

写真展で覘く新境地

 「新境地といえども細るわが身かな」というくらいのものかなと今回の写真展を思う。自分が撮った写真がどの程度のものかというあたりは、気になるところだけれども、わからないのが悩みどころで、「いいもの」とは眼力のある人でないとわからないことだ。自分が持ち合わせていないのだから、思い込みから抜け出せない悩みは深くなる。

 自分のものを人目に晒すというのは、相当のモノであるか、やっちゃえという開き直りなのかだとしたら、開き直りに該当することには違いない。ともかく、ゼミの一年の決算の展示会に乗せてもらえて良としたい。

 友人にも来てもらって、観てもらってから酒も飲んで、ちらほら写真の感想を聞かせてもらうことは、開き直りの成果ということになる。おまけに次の旅の相談までできるのだから。講評はその道の達人に任せておくとして、こうして付き合いができることは、人生の終盤にきてありがたいことだ。文化、芸術などには縁遠くきていたのだから、短い時間でどれだけのことができるのか、計ることもできないが、「滝に打たれるつもり」が続くことになるのかな。

 やや疲労を感じないでもないけれども、まだこれくらいのことができると思えば、もう少し先までのレールがあるのかもしれない。ゼミの方々や友人知人のみなさんお陰で、人生の一コマとして残ることにはなった。新境地がまだすっかり見えているわけではないが、明日24日までの写真展が終了してから、じっくりと振り返りたいと思う。





2016年4月17日日曜日

渓流初釣り楽しんで春を遊ぶ

 友人の別荘に誘われて那須に出かけた。那珂川水系の渓流が別荘近くにいくつもあって、春先のまだ枝の芽吹きがあるかないかくらいの自然のなかに、入り込むことができる。入り込む最も大きな事情は、釣り竿を片手に持っての「釣り」だ。

 前夜は写真展の作品プリントがあって、5枚を仕上げてからの出発だった。9時ごろ山荘に到着して、宴会を始めたので、翌朝の2時まで盛り上がってしまい、起きだして釣り場についたのは昼近くになっていた。

 以前に釣ったところなので、落差のない流れで危険はあまりないとわかっていたし、友人と別れた後の段取りも決めたうえで、ゆったり気分で釣り始めることになった。ここは別荘地として管理されている裏側を流れている渓流だが、依然来た時とほとんど変わらない環境で、そのためかろうじて自然が保たれているのかと、そんな気がした。「リバーサイドなんとか」という看板が見えているが、こんな山中で建て替えられた看板が少々ミスマッチなおもしろさを感じる。

 水量もあり釣りのポイントもそれなりにあるものの、魚のアタリはさっぱりでない。歩く時のバランスも危うくなってきていることを十分自覚しながら、ゆっくり釣り上るうち、ようやくヤマメが顔を出してくれた。小さめのイワナも釣れてきた。イワナはまだ元気がなくて、餌がごく少なかったときの体力から回復がしていないようだった。

 いまごろは大体そんなものだと、魚がいても餌に食いつかないという気がした。ためしに、いつもは仕掛けを3回仕も流せばやめてしまうところ、10回以上流してみたら食いついてきた。残念ながら水の中で反転して逃げてしまったが、やっぱりあまり食い気がないのだろう。

 ヤマメの習性はとても用心深くて、一度食べ損なうと二度と食わない。というより、こちらはまた同じところへと餌を放り込むが、食べることはない。おそらくは、食べ損なった餌がまた流れてきたのはおかしいという認識ができるということではないだろうか。あるいは、温かくなっていく気候では危険を冒すよりも、自然界に常駐する次の餌を狙うほうが、安全という判断もしているのだろうか。

 そんな自分が釣れなかった事情を、自分の釣り技を差し置いて考えてみるのだが、餌を食わない本当の事情は、わかりはしない。あくまで釣り人側の勝手な解釈だ。ともかくも、少なくなった渓流釣りの幕開を味わうことができて、なによりだった。







2016年4月8日金曜日

防潮堤を見ようと石巻に行く

 復興の遅れがニュースで取り上げられて、東日本大震災復興への振り返りがあった。今はどうなっただろうかと、確かめたいものだと思っていたら、娘から行こうと声がかかった。大きな被害を受けたのにどれだけの復興がすすめられているのか、目で見たいと思っていたようだ。

 実は防潮堤の建設工事が、様々なこれまでの生活やら、慣れ親しんだ海との関係もあまり考慮されずに、建設が進められているということを聞いて、どんなものかと見てみたいと思っていた。

 日曜日に出発して、一気に女川原発を目標に走った。美浜原発と同じように、原発施設には近づけない。PRセンターに入って、あれこれの自己宣伝を眺め、経年の訪問記録には、23年間で100万に達したと表示され、2012年で表示が止まっていた。そのまま止まっていることになればいいと率直に思った。

 震災の時に被災者を原発の施設で受け入れたときのことも写真に撮っていた。戻ってからNETを見てみたら、被災者が原発の施設に集まってきたので、受け入れたとなっているので、最初からそういう時のために備えていたわけではないということだったらしい。

 女川原発は牡鹿半島の先端部分を占めていて、近づくのには曲がりくねった道をかなり走ることになった。半島の道路はあちこちで壁面工事をしていて、今もって復興の造成工事をしているところだった。

 小さな港(荻浜港)は真新しいコンクリートが敷かれて、古い漁具が置かれている。それが通常見る港の風袋とは違った落ち着かない感じだった。

 石巻市魚町付近で、真新しい防潮堤が見えたので車をそちらに向けて曲がった。ここもちょうど港の造成工事をしたばかりの港と、石巻漁業市場、漁業関係らしい倉庫があり、そこまで防潮堤の端が伸びていた。

 その防潮堤の湾曲したスタイルは、おそらく海との親和性を考えたものではないかとみえた。

 復興予算の目玉のような使い道として、防潮堤の建設がすすめられ、住民の意向の多くは無視をされるか、あるいは時間切れの相談事として扱われて、海と共生してきた生活を分断することを、問題とする意見が現地以外からもでている。

 「防潮堤が高くて海が見えない」という話もうなずける。万一のときのも津波が見えないというのはどうなのだろうか。いつまた津波が来るかもわからないから、防潮堤を張り巡らさなければという理由は反論しにくいが、いつ来るかもわからなくて過ごしてきた日々の積み重ねは、どれだけの「価値」と重みを生み出してきたかも考える必要があるのではないのだろうか。いくら備えようが自然の力には及ばないよとの声も的を射ている。