朝少し早く起きるだけで、10時少し過ぎには岩手山麓の仙人の家に着く。随分早く移動できるようになったものだ。
昭和30年頃は蒸気機関車だった。電気で走るのは電関と言った。中学生の夏休みには、山形の故郷に帰るのには準急列車を使った。急行列車は乗ったことはあるのだろうが覚えていない。たしか、親の死に目にあうようなときでないと、使わないといわれていたような気がする。
米沢アタリまで行くと山間部には入って、随分遠くへ着たものだと思ったものだ。スイッチバックでジグザグに走るときには窓から頭を出して、興味津々で見ていた。暑いから窓はめいっぱい開けて、石炭の燃えかすがよく眼にはいってきたものだった。8時間はたっぷりかかっていた。
8月24日は新庄の夏祭り。日程は毎年動かない。あの笛と太鼓と鐘の音が今でも懐かしい。「チャリコ チャラリコ チャラリコ チャンチャン」と奏でる。今はもう変化しているらしい。
そんこと考えているうちに福島。と、途端に雪の世界に入った。まさかと思ったら、なんと岩手山麓は、その「まさか」で、冬まっただ中の大雪だった。いつもだと仙台を抜けるときは一度雪が無くなるのだが今日は違っていた。仙人の家の桜の木は無論雪をかぶっている。部屋の中の枝打ちされた桜は満開だった。