2013年10月10日木曜日

海外旅行など行こうと思わなかったのに2

 写真をまともに撮り始めた2003年。撮影の講習会で身に着けたものを、3年後からデジカメで使うようになった。魔の触手に触れた2007年は、奥尻・礼文島の撮影旅への誘いだった。観光写真っぽいものでも、目には新しいから絵葉書との違いをどうしたらいいのか工夫しながら、撮り歩いた。しかしなかなか、どうしても絵葉書範疇から抜け出せない。素晴らしい景色に見とれて素直に撮るから、「芸術的作品」には程遠い。でも十分これで良いだろうと思っていた。日本中いくらも撮るところはあるだろうと整理していた。

 ところが、魔の触手がまた伸びてきた。今度は海外で中国に、ということだった。同伴させてもらって、存分撮りまくった。そしたら、また別の海外旅行の誘いがかかってきた。最初の海外で、旅への緊張感は薄らいできたから、清水の舞台を利用するほどのことはなかった。現地の言葉がわからなくても、添乗員の言葉を逃さなければ大丈夫と、たかをくくれるようになって、ツアーの隙をみては撮る。撮るのにこだわっていると移動のスピードに遅れるから、そこは注意する。写真はだからスナップばかりで、グンと落ち着いた写真はなかなか撮れない。山岳写真のように待って撮るというような設定は無理だ。いまのところ、そういう撮り方をしたいとは思っていない。やるからには体力、気力、金力、時間がいるだろう。

 こんな写真を編集して、投稿サイト(Facebook)に載せたら、外国人から友達申請が来た。率直なところ困ったことになったと思った。その人のサイトを見たら、良い写真がたくさん載っている。中国人らしいのだが、コメントは英語になっている。Facebookのコメントはいい写真だの素敵だのと長いものでないから、そんなに苦にはならないだろうと、交流することに決めた。
「英語はわかりませんが、仲間にしてください」といったたぐいのコメントを英語で送った。
Good evening. Please associate, although he does not understand English well.」。
It's OK !」と返事がきた。

 日本語を綴ってHPの「翻訳」サイトで英語に変換することがいとも簡単にできる。コピーして貼り付けるだけの作業で「国際化」に参入することになった。

2008.11.17羽子板市