2013年7月18日木曜日

ドイツの廃棄物の扱いは違っている

 先日のドイツ旅行の記事で、ゴミのことについて書いた。

「街中ではゴミはほとんどない。おおきなタンクのような器を置いて、そこに分別して入れておくようになっている。都市のなかでも、いわゆるゴミとして廃棄するというものが相当圧縮されているのか、もともと少ないのかどうかわからないが、…」

 ドイツをよく御存じの方から、このことについてメールがあって教えていただいた。
 「ドイツでは家庭や企業から出る廃棄物はゴミではありません。資源です。幼稚園の物心ついた頃から先生がゴミ出しの実習をさせて教育させています。ビン類は洗浄して再利用します。ゴミになるものは作らない、売らないという発想で企業側も努力しています。昔から日本でも言われているようにドイツ人の考え方は合理的なのです。」

 やはり、発想と扱いが日本とは相当違っているらしい。資源をして回収するのは日本でも現在はやられているが、「企業努力」の方は(あるのかもしれないが)ちっとも見えない。プラスチック類にしても、消費者が洗って集積場へ持っていったものが「商品化」されるのに、そのコストはただというのも納得いかないことだ。缶類びん類も中を洗ってシールをはがして…となると水道料金まで負担することになる。

 その分が再生利用された器の商品のコストを下げているという理屈なのかもしれないが、回収することにたいする対価がみえれば、そこいらに空を放っておくことが減るのではないか。それに、自動販売機の数はどれだけあるのだろう。どこにでもある安心感も醸造されているが、もしなければ熱中症対策には入れ物に入れて持ち歩くことで、ペットボトルの器の数を減らすことにはなる。

 どこかの知事が電力使用量を抑えるのに、自動販売機をなくせと言ったことがあった。これは総スカンになるだろうけど、本来的にはそう考えるのも一理あると思う。いまから「なくせ」では抵抗は感じるが、電力使用量野放しというわけにはいかないご時世にはなった。どこの家庭でもおなじだろうが、再生利用のプラスチック類の量はすさまじいものだ。この圧縮だって必死に考えていかないと、日本のゴミ社会はどうなっていくか心配だ。
 それにつけても日本という国はどうしてこう、後進国なのだろうか。