2018年8月21日火曜日

散骨~さらば仙人


 散骨で…と言っていた親父の要望に沿って、ではあったが家系の墓に入ることも、その前は言っていたのだから、正確にはどっちなのかはわからない。特に望みを確定していなかったことには違いない。神仏に関しての話などはしたことがなかったので、どういう志向なのかもよくわからないのだが、家の柱に神社の札が掲げてあったから、神には信頼を寄せていたのかもしれない。

 片付けの中から軍隊の紀章もでてきた。「神」についての存在感を十二分に与えられた時代を通ってきた。だからその影響はあったといえるだろう。

 親父は次男坊だったから家を継ぐということからは外れていた。重きを置くことはなかった事情はそこにあったのかもしれない。そしてそのあとの私なのだから、神も仏も「みんな夢の中」的解釈する輩が判断することは、散骨が妥当ということが帰結だったのだろうか。

 3組が海洋散骨に参加した。それぞれの思いが、散骨の方法にも反映していた。海洋散骨を「委託」した家族。一人だけで参加の人。そして3人で参加した我々。台風が近づいていて波が少し高かった。船頭さんが、波のない島近くまで船を運んでくれて、海上をゆっくり旋回させた。細かく粉砕した袋入りの遺骨は、口を開けると海上に舞いながら散った。記念の写真を撮ってから献花をし、お酒も投入した。昨今は散骨が増えているのだと業者が話していた。