2021年5月15日土曜日

中止した写真展のメンバーが亡くなった

 心痛む知らせがあった。24日から開催する予定だったメンバーの方が亡くなった。写真展のときに配布するパンフレットを編集していたのが先週だった。入稿前の点検時の最後にメールがあって、撮影した写真との関わりをキャプションで表すところ、より推敲された言葉で変更すると連絡があった。

 三日後のゼミのオンラインで、声が少し掠れていたので気がかりだったが、今日になって急な知らせを聞くことになった。作品のパンフレットを作る役割だったので、作った「初校」についてその「是非と修正」連絡を乞うメールを打ち連絡を待っていた。もうちょっと早くどうなのとは率直なところ思っていたことだった。(いろんな場合でそんなことがあり己もそうだけど)

 でもそればかりと断ずることはできないことだと、今回は反省させられた。写真展は中止をすると相談の結果で決断はしたけれども、「心残り」の部分がより大きくなった。会場OKの開催可能な条件があったのに、という思いを全部否定することが難しい。比べたくもないが五輪の場合が「どうやったらできるか」の物差しなのだから容易いが、それは危ういという以外ない。そんな判断にゆだねるほどの生易しい状況ではないと思えるので、やむを得ないことかとまたグルグルめぐりになる。