2022年12月26日月曜日

自宅時間の自習効果も大なるものがあるという強弁

 体調が悪かった最中、腹痛で眠ることができなくて、寝ていられず立ちあがったり座ったり、テレビをつけたり消したりじっとすることなく、痛みが停まることを念じて過ごしていた。一週間後に検査を受け原因がわかって、薬の効果もあって腸が動き出してからは気持ちも楽になった。あとの静養モードまでの間で、新しく体験できたこともあった。無駄ばかりでなかったとやや強弁に自己満足をしている。

 普段はテレビの報道があまりに政権に忖度したニュースが多くて、「消してやりたい」とチャンネルを切り替えることがよくあった。見ることがない深夜テレビには、よい番組もあると今更感じた。MHKのニュース報道は全くひどいものであるのに、ほかの時間帯には「戦争批判・体験」を取り上げた番組もあるし、再放送だけれど「自然」を題材にした日本の風土を感じさせてくれる映像もある。海外の映画もある。でもそれでは、眠れない「体調」状態でなければ目に触れることがない。

 NHKには視聴料金を払っているし、民放へは長々としたコマーシャルに付き合っているのだから、不届きなことだ言いたい。日中の時間帯に、なにか無理やり「面白さと軽さ」を主題にした味気の少ない番組が目立つ。そんな中に綴じこんでほしいものだ。

 薬を飲んだ副作用からか味覚が少し悪くなっていた。薬を飲まなくなって収まったころ、コンビニ食品の「まずさ」を自覚した。塩味が主で「美味しさ」はさておかれているように感じた。改めて家庭料理の大切さを再確認することになった。

 スマホの文書作りに「音声」を使うと便利そうだとわかった。若者たちなど慣れている人は先刻承知のことだろうけど、こそばゆくてほとんど使ったことはなかった。試してみた範囲ではそんなに便利だとは思えない(間違った認識による修正はどうするのだろう)。音声認識は身体が動けなくなったとき効果を発揮するのかな?

 日記の書き込みをするときにGoogleドキュメントを使っている。このときには文字列におかしな文言があるときに「指摘」してくれる。これまでは自己流の文章で、接続詞を使わないでいることもよくある。文章の終了時に「連体止め」みたいに切ってしまうことがままあって、他人が見ないのをいいことにして、文章としては乱れたものになってしまう。そこでアプリの「入力ミス?修正候補」をいったん確認してみることにした。なるほどそれなりに、「修正候補」が良い場合がある。

 そんなことも今回のリハビリ時間中に体験していた。有料の計画も含めいくつかの予定をキャンセルして、ただ寝転がっているだけではもったいない。逆にいえばこれしきのことに触れられなかった日常が、ちょっとおかしかったのかとも思う。自分の思考を交えた組み立てにするためには、すこし対応する物事を減らして、「ユッタリズム」でいくべきかなどと考えている。