2011年8月4日木曜日

ゴミの収集日は、カラスが人を見てる

 見たところどうも、おチョックッテいるようだ。ゴミの集積場に近くで、ありつけそうな残飯をねらっている こちらが近づいても、一段高いところへ移動するだけで、そこからまた様子を見ている。

 悔しいから手をたたいたり、もっているものを回したりして脅す。でもそこからまた少し飛び去るだけで、態度は平然としていて「ここまでおいで」という感じだ。やっぱり知覚がたかい。


 「脅かす」などというと動物虐待みたいだけど、人間は追ってくるんだと思ってもらったほうがいいかと、やることがある。カラスの嫌いな東京都知事が捕獲させて、カラスの減少につながったらしいけど、捉まえたカラスは「処分」されたんだろう。

 それよりは「脅かす」ほうはまだ友好的かもしれない。
 カラスは人間のおかげで、いろいろな見方をされている。神の使者というのもあるし、悪魔や魔女の使いにされている。明治時代に、飛ぶ格好を見て始めてゴム動力模型飛行機をつくった人もいる。

 人間の飽食社会のおかげで「悪者」に過度にしたてられたんではないかな。「夕焼小焼け」「七つの子」では、友好的に歌われている。

 カラスがねらう物は、焼却炉で燃して海に廃棄か穴に埋める。 
 つい先日まで、食べ残しは食文化ではなかった。都会に残る膨大な食べ残しを、カラスが処分するという限りでは合理的なんだけど。

 カラスは、人間社会の馬鹿さ加減をうんと笑ってるんだろうな。
危ないことを大丈夫だと言ったり、やるべきことを遠回しに「やらない」と言ったり、利益に群がってやらせの演出までやって、迷走する人間たちの愚かさを。