2021年11月29日月曜日

ワクチン接種後の「死亡者」も1300人を超えて評価不能?

東京新聞(11.12

「27歳の男性は6月28日に1回目を接種。7月6日に心停止し、8月3日に死亡した。接種前から心臓に疾患があった可能性もあるといい“接種が原因と強く疑うことは困難”と専門家が評価した。24歳の男性は8月14日の2回目接種後、17日に死亡した。接種後には発熱や腹痛を訴えていた。」

この記事でも「強く疑うことは」とのことで、判断に至っていない。822日までに1093人死亡とされるうち評価不能が99%以上と公表され、「接種が原因の死亡」は、カウントされていない。しかしこれはゼロということではない。少なくともアメリカのように、モニタリングする体制をもっと充実させることは必要だ。

 東京新聞(10.25

「精神疾患の既往はなく通常に勤務していた若者。ワクチン接種後に突然精神障害を発症している。因果関係は否定も肯定もできず同様の有害事象の収集に努めるべきだと考える」とのコメントも載せられている。こうした状況が接種の不安に輪をかけることになってしかたがない。3回目の接種を進めることばかりが先行して、「ワクチン注射が安心につながる」ということだけをもって先行させて良いものだろうか。

 副反応の影響についても、8月19日以降、救済が認められたのは全国で66人のみで、救済申請する場合のハードルが高いく「救済制度」を申請する人は少ないとのこと。

また新しい変異体が発生して、心もとない検査体制やら医療体制はどうなっていくのか、キチンと対応できるのだろうか。そんな動きはあまり見られない。

 精神疾患まで?東京新聞(10.25

申請のハードル高い救済制度 河北新報(9.23

ハードル高すぎ? ワクチン副反応の救済申請、神戸でわずか22件 神戸新聞(10.20



2021年11月28日日曜日

寒くなるのは気候のせいばかりでない

  10月に入ってから、コロナの感染者が減って「安心感」が湧いてくる。「じっと我慢の子」から抜け出したいのはみな同じなのではないか。さて「行こう」と自らも計画して紅葉を眺めたい気持ちを満たしに出かけてきた。しかし元の生活に戻りたい願いは難しそうで、やっぱり今後の「再拡大」もあるのかという報道をみて、一時の安息かとまたもモヤモヤとした不安を感じる。3回目のワクチン接種を始めるのだと政府が言い、だんどりの議論が始まっている。

 それにつけても気になってくるのが、ワクチン接種による「副反応」や「死亡」のことで、接種後の死亡者が1300人を超えるところまでになった。ずっと「評価不能」とのことで事実上棚上げになってきた調査結果について、11月に入ってから新たに視点が加わった論調になってきた。 

 今月初めのNHKの番組でも、取り上げられていた                                                      「ワクチン接種後の死亡者について、99.3%が解剖所見をみただけではわからない」「突然死と区別できない」「症例の分析は検討会でやっている」「4万件を手作業で資料収集している、99%評価不能」「因果関係特定できない」といった状況が説明されていた。

アメリカの場合は                                                 ・米国疾病予防管理センター(CDC)で因果関係が認められないと公表 ・モニタリングシステムで1200万人から資料を集め、軽度な心筋炎で若い人に差が出た~などとのことだった。アメリカと日本との対応の違いも、やっぱりと気にはなるが、最近になって厚生省の「発表」をめぐって、新しいことが浮かび上がってきた。

最近の報道から拾いだしてみると、厚生省の「発表」に少し立ち入った内容も発信されている。                                                          「接種後の死亡について「高齢者の死亡は一定の確率で起きるので、どのように評価して伝えていくかは非常にデリケートな問題だ」                                          「厚生労働省は12日に開いた副反応に関する専門部会で、米モデルナ製の新型コロナウイルスワクチンの接種後、男性4人が心筋炎を発症し死亡したと報告した。うち2人は20代男性で、若い男性へのモデルナ接種を巡っては、心臓の筋肉に炎症が起こる心筋炎などが出る割合が比較的高いとして、厚労省が注意を呼び掛けている。」など。

東京新聞(11.12)では                                              「心筋炎で死亡した事例が報告されたのは、モデルナ製では初めて。接種との因果関係はいずれも評価不能とされた。先行したファイザー製でも死亡事例は13例あり、若い男性に限ると20代の死亡例が1例ある。報告(厚生省)によると、死亡したのは20代2人と40代2人」と、相変わらず評価できないとの前提ながら発表されている。

 「因果関係」を特定するに至らないということでありながら、「注意の呼びかけ」をするということがまた妙なもので、何を注意したらいいのかちっとも理解ができない。そもそもの政府(政治)の信頼度が大切なのはこのことでも同様だ。

「ワクチン接種後 死亡」でNET検索



2021年11月25日木曜日

長井ダムは初めて行ってみたところだったけど

 散居を撮りに行こうとして、計画したことがあった。その時には何かの都合で行かれずにいた。南陽、長井市は果物や花では有名なところで、これまでちらちらと、旅先の候補に浮かんでは消えていた。上山温泉を後にして、次の安達太良までは時間がゆったりあった。

 娘が得意のスマホ検索で拾い出して、行ってみることにした。上山温泉を出発して米沢方面に向かい、南陽市から西へ入っていく。ダムの湖岸に車を止めて紅葉を眺めつつ、撮りつしていると、車やバイクがひっきりなしに通り、紅葉を楽しんでいく。

 近くに駐車した地元の夫婦連れが、先の方にもっと素晴らしいところがあると教えてくれ、行ってみるとダム湖の展望台があった。こちらはメッカらしくて人が多い。湖岸からは遊覧船まである。紅葉の素敵な景色に圧倒されて、ウンウンと見て回ったダム湖が、見たかった紅葉の景色を堪能した一刻になった。












 

2021年11月23日火曜日

肘折温泉に別れを告げて

 肘折温泉へ行くと必ず寄ってみる「男沼」。この入口がちょっとわかりづらい場所にあって、慎重に目当てを見ながら進入していく。この場所は、最初はいつ寄ったのかを忘れてしまった。沼が三つくらいあるところで、多分川の流れとの関係があるのか、実に静寂なところ。地元に人しか知りえないところで、今は暇なバーベキューの施設が小ぢんまりと鎮座している。

 大がかりなレジャー施設とは雲泥の差と思えるところ。シーズンオフであることが幸いで、どこでカメラを構えようが邪魔にされることも、邪魔にすることもない。ぐるりと回って隣の沼を巡るコースもあって、たいした時間も使う必要もなく周遊できる。そのストレスのない自由さがいい「お気に入り」となっている。いつものように、入口の沼を見て、どんな感じなのかをうかがうが、「紅葉」と限るとちょっと時期を過ぎている感じだった。「惜しい」とは思いつつ、せっかくのお気に入りの場所を、簡単に去るわけにもいかない。 










2021年11月17日水曜日

また来たと高台から眺めてみる温泉街

 肘折温泉の朝市は、やはり湯治客に食糧を売るというものだったらしい。いまはほぼ観光用にとなってしまったのだろう。新庄から車で40分ほど舗装道路を走って着いてしまうのだから、秘境と言われてはいるもののその意味での様相の変容はここもある。ただ、ほかには開発の手が付いていない離れた集落で、何回きても様相があまり変化しないので、進入する道沿いの(昔はなかった)陸橋から眺めると、変わらぬ景色になんとなく安ど感が湧いてくる。

 東京の我が棲み処の周りでは、高さ制限を緩和した以降、次から次と45階建てのビル工事がされて、騒音もさることながら著しい変化に囲まれて、落ち着くことがない。そこから脱出して、気持ちの落ち着く懐かしきところとして、自己の「お気に入り」の場所に登録してある。温泉旅館はいくつもあるので、必ずどこかが予約できるのもメリットになる。















2021年11月15日月曜日

25年目の墓参と紅葉探し

 もう25年になった山形への墓参。墓参にかこつけて、この時期ちょうど紅葉の時期に当たることがあり、温泉にも浸かる楽しみもかねて出かける。若いころ味わった苦い体験を、思い出すのもふるさとゆえのことで、「恨み」として胸に残っていたわだかまりも、過ぎた年月がずっと軽くしてくれた。「時々、折々に思い出してやることだ」という坊さんの言葉をいただいて、生まれ故郷山形の空気をゆったり吸わせてもらうのを楽しみにしている。肘折温泉の朝市に、地元の大蔵村から毎日店を出しに集まって来る。観光地ゆえの賑わいもあるが、現下まだ人は少ない。













2021年11月11日木曜日

ツアーで歩きすぎて、膝の手術になりかけた?

 ツアーでそんなに長く歩くことは想定外だった。これまでツアーでどのくらい歩くのかを心配したことはなった。出かけた以上歩数制限をかけるわけはないし、思わず三日間を歩いてしまって、一日8000歩になったということだっただけのこと。最近は心配しながらの回遊で、一日せいぜい40005000歩ほどがいいところかと頭の中では描いていた。

 旅から戻って、翌日の診察で膝の痛みを訴えると、医師は注射が6回になっているから、もう軽くなってくるはずで、これはMRI検査をしやほうがいい、ということになった。日を改めて検査施設に行き検査を受けた。結果のCDをもって再度医師の診察を受けたところ、手術を勧められた。現在は痛みがひどかった時ほどのことはなくて、どうやら旅のせいだったらしいと弁解をしたら、それなら止めましょうとあっさり中止することになった。

 スキャンの状態では一部欠損(?)しているとのことで、2年前の山歩きのときに、酷い膝痛が起きたことを思いだし医師に話した。治りはしないが、幾分か和らぐことはあるだろうと、注射を続けることにしてとりあえず手術はしのいだ。不思議なことに最初は右膝が痛くて、治療が始まったものが左に負担をかけたからなのか、治療で和らいできた右よりも、痛みが出てきたのはどうしてなのか。身体全体のバランスが崩れてきているのだろうか。内臓も含めてあちこちの「渋滞」が起きてきているのは、「お年です」からしょうがねえと、あきらめも肝心なのだろう。

 ツアーで回り歩いて、「秋」の雰囲気があればなと願って、目に入るものをあさったつもりが、景色は余り当たらなかった。秋の美麗な紅葉はとらえられなかったので、「らしさ」を切り取ってみた。樹々の紅葉も時を過ぎれば哀れさも見せてくれる。わりとそういうところも好きなので、終末の憐れさを自分に重ねてみるのもいいだろうと思い込んでいる。