2015年1月7日水曜日

監視カメラでねえ

ゴミの不法投棄を防止するために、監視カメラを設置するという中野区。とりあえず何か所かでやってみるということだ。我が家のゴミ・資源ゴミも前の通りの電柱脇に置いているが、ゴミに被せるネットの管理(収集後にたたんでおくだけだが)をなんとなくやっている。30年も住んでいるが、そのころからの知り合いはたった一軒で、あとは引っ越してしまった。あとは「新住人」が入っているので、自然淘汰でそうなってしまった。

建売の6軒が同時に住み始めたころは、ゴミ置き場の清掃も交替でやるスタイルができあがっていた。周りの建売住宅ももう痛んで、立て替えで住人が入れ替わり、昨年も目のまえの道路の向こう側に、3軒の住宅が建ちあがった。
本来なら、ゴミ置き場の管理の相談をして…というところだが、なかなかそこまでいかない。

ゴミの収集日に「何曜日は何のゴミ」ということが、新しい住人には慣れなかったらしい。収集日の目的物に合致しないものが、かなり置いてあった。困ったものだと思いながら、それでも収集日まで置いておくのは、だらしがなくてなんとかしたほうがいいかと思った。でも、やっぱりそのまま置いておいて自覚を促すという方法が、穏やかでいいらしい。最近は確かに減ってきた。長年住んでいるせいで、責任者のようにみたいに、あれこれの目配りをしたりするのもおかしいが、もうちょっと酷かったら何らかの手を打とうと思っている。 

ちょうど隣に中学校があって、学校の周りに捨てられるゴミを、止めさせようとのキャンペーンをしている。学校のフェンスに防止のポスターがいくつも貼ってあるから、それをカメラで撮影して、ゴミ置き場に表示しようかというアイディアだ。

ゴミの収集が終わったら、被せてあったネットをキチンとたたんで、そばのフェンスにかける。それだけで綺麗にしておく気持ちが伝わればと思うが、ちょうど「新住民さん」が外で車を掃除しているときに、収集した後の網を片付けたら目があって、挨拶を交わすことになった。これでまた清潔さが保てる条件がひろがったかもしれない。

どこでも「不法投棄」は頭の痛いことだろう。しかし、監視カメラで写したからどうだというのか。殺人罪があっても殺人は減らないのだから、匂いのもとを立つことにはならない気がするのだが。
資源再生ゴミが、住民の無料奉仕で成り立っているというのも、釈然としないと思うのは私だけだろうか。資本主義社会タダのものがあるのか?ものの購入や消費にはこれでもかというほどの「ゴミ」が発生する。これが全部消費者側の責任に帰されることなのか?などとブウタレながら、今日のプラスチック類の資源ゴミごみを、また置き場に運んだ。