2018年12月29日土曜日

2020年度開業という文字が躍る京都開発

 先日テレビで、京都で遺跡発掘が進んでいて、保存する場所がなくなっていると報じていた。それほど「発掘」が多いのは開発が進められているからだろうと思って、NET検索したら案の定、不動産業界の「活況状況」がでてきた。

 報道は保管場所がなくなるほどの埋蔵物保管場所を問題視していた。京都の土地を掘り返す、あえて言えば「破壊が進んでいること」に驚くと同時に、事業者だけではないなり国、自治体の誘導にも疑問を持たざるを得ない。

 埋蔵物を掘り出したら、その扱いを「しまっておく」だけでいいのか。一定期間が過ぎれば建築もどんどん進めることが可能だから、京都が持っている遺構や遺跡、埋蔵物が片隅におかれて、全く違った建造物が出現するということになる。

 ゼロからのスタートでなく、プラスであるものがマイナスにされたうえで、性格の違った似非プラスが出てくるということになるのではないかと思う。京都と言う町が持っている特有のものは大事にしてもらいたいし、将来に残すべき共有の財産だろう。それが今の在り方にならなければいけないのではないか。

 事業や建造物がそこに本当に必要か?の検討が十分されているのだろうか。公共事業が評価されない失敗例が後から現れてくる。そうしてはならないという教訓は生かされているのだろうか。形式ばかりを整えた「事業説明」だけでやっていないか。

 しかし、土地を掘れば歴史的な遺跡が現れるとは、埋め戻して研究に資することもできるだろう。過去を大事にしないものが今を大事にできるはずはない。過去の歴史に触れて日本の文化を想うことより、2020年のオリンピックで外国人観光客を呼び込むための…という「不動産業活況」であれば本末転倒だ。