2013年12月13日金曜日

「上」から言われること

 「上」から言われることは従わなくてはならないことだと考えるのは、当たり前という概念が長い間あった。企業組織の中はいまでもそうしたことが幅を利かしている。「上」は強いものだから、従わなくてはどういう目に合うかわからない。パワハラが横行するような職場は、そういう体制が強要されているということだろう。派遣労働を際限なくできるという企業メリットも、職場の格差(=「差別」と最近言わないが)を持ち込むことによって組織を締めるということになる。安い賃金でこき使われる方はたまったものではない。仕事について文句を言おうものなら、次の「契約」は保障されない。労働組合をつくろうものならすぐにクビになってしまう。

 昨年の7月にアシアナ空港のボーイング777型機が着陸に失敗して3人が死亡した。この原因を調査している米国家運輸安全委員会が報告書で「操縦士が上司に遠慮して着陸のやり直しを主張できなかったのが一因」とした。高度90メートルのときでなく、60メートルというときにやり直しをしたのは「最終決断は上司である教官がするもの。下の者が決めるのは韓国の文化において非常に難しい」。太陽光で目がくらんだが、サングラスをかけなかったのも、「上司の前でサングラスをかけるのは無礼。韓国でそれは重要」と調査に答えたという。韓国は日本よりも労働組合の活動が活発だときいているが、それでもこうしたことが起きている。

 「上から言われたことは守らなくてはならない」という概念は、変えていくべきで、そういう体制が強要を続ければ、組織も社会も硬直化していくだろう。戦後の憲法でも民主主義をうたい、人権も労働組合も認め、思想の自由も言いながら、前近代的な社会が後を引いている。特定機密保護法に反対して、戦前の社会を想起する人もずいぶん声を上げていた。天皇の名で侵略戦争に駆り出した「上意下達」の絶対社会が、「上」から言われたことを守るというシステムだったことを、忘れてしまうわけにいかない。日本社会のあってはならない歴史の繰り返しになる。

 もっとも家庭内においては、「上」からの言明は守った方がいいことはままある。独りよがりの指図だって感じることはあるが、それはまあ、ほどほどの「討論」として解決をする。