2015年7月30日木曜日

高齢化社会の真っただ中

 義父をショートスティ―に、本人の状態を少し心配をしながら預けたのだが、入所した翌日には、足の指の爪が剥がれたとか腕に傷をつけたとかと、連日連絡があり処置したこという連絡があった。説明を聞いて、そんなに大事ではないなと思えたので、そう心配もせずにいた。本人の身体の動きはますます悪くなっていることもあって、介護もなかなか大変なのだろうとは思う。家にいるときのような動かし方とはやっぱり違うのだろうと思いつつも、もうちょっと丁寧にと率直に感じるところもある。

 そしたら今日は、尿の出が悪くて呼吸も苦しそうなので、入院して膀胱の炎症対策と酸素吸入をさせたほうがいいという連絡があった。病院を併設しているのでそこでよいかどうか、その了解をとのことだった。「ほかの病院に行きますか?」と言外に言われているようであったが、こういうとき「ほかに入院させます」という選択肢があるのだろうかと余計なことを考える。以前にもこれに類することは経験済みだから、それでお願いするということになった。隣が病院なので、施設も移動するのはわけない。保険証やら保証金やらの準備をして病院に行き、入院手続きを済ませてから、看護士さんに本人の状態と身の回りのあれこれを説明し、処遇の仕方の説明を受けた。何回もこういう場面があったなと思いながら、受付で借りた手押し車で荷物を施設から移動させて、「足りないものは購入してください」という言葉を思い出しながら、歯磨き粉はありましたよ」と看護士さんに伝えた。

 事業としてのことだから、収益性を重んじることを否定はできないが、最初に8000円の部屋でと言っていたものが、二回目の電話では15000円だったのですがいいですかと言われて、じゃ止めますっていえるものか。言葉は悪いが足元を見られたようで釈然としない。荷物を運びこんでから、入所施設で準備したティッシュを使おうとしたら、これは使用しないで病院の方で準備したものを使ってくださいと言っていた。(たぶんこれも有料サービスのなかにあるものなのだろう)高齢者の行く先は己の行く先であり、体験する何事もこれでいいのかいの思いを増やしてくれる。