2024年4月27日土曜日

スマホ写真家が増えているのでサイト展示会

 退職者会で、デジタルカメラとスマホカメラで撮影した写真と動画を送ってもらって、写真展サイト(ホームページ)を作成した。本当はデジタルカメラを使っている人との交流をしたいと思っていたのだった。でも写真を送る操作をパソコンのメールでやるにしても、ファイルの容量(画素)が大きいと、分割して送る必要があり、そうかといって「大容量ファイルを送る」サービスを使うことも、知らない世界に踏み込むということになって、やはり簡単にできない。なによりも撮った写真の保管整理を、自己管理することが大切で、写真ファイルから引き出して、送った写真ファイルを別途記録(保管)しておかないと、そのうち送ったかさえ分からなくなったりする。小さな山をいくつも越していかなくてはならない。趣味の範囲でやるにしても「写真家」的技量がはいってきて、実に厄介だ。このあたりがデジタルカメラの「難点」なのかもしれない。

 それに比べてスマホのほうは、写真を簡単で上手に撮影できて、保管場所もわりあい分かりやすい。送るのもLINEでわりと易しくやれる。初心を投げ捨てたわけではないけれど、スマホ写真の方がずっと扱いやすい。だいたいは撮った写真を誰かに見せよう、共有しようとして「送信」までこなしていることは多い。だけども、もったいないことにそこまでで終わっているだろうと思い、それならデジカメ写真に加えてスマホの写真を供出してもらって、「写真展サイト」を作ろうと思いいたった。

 われら高麗者であるゆえに小さな山はいくつもあった。デジタルなんかという「反感」もあるし、世界はそれだけで動いているわけでもないとの厭世的気分もある。すすめてみて、小さな山にぶつかりながら、どうするのかという問いかけに自答するのが、切迫感も手伝って健康維持(特に脳)の糧になっているのかも。スマホのアプリの使い方など、自分では間に合っていたものが人に説明するとなると実はよくわかっていなために、解明が必要になって調べることもでき、その点では非常に勉強になる。

 先日のサクラを追いかけた旅で、宿から撮ったスマホの写真は、早朝から時間がたつにつれての変化がとらえられた。切り取りの範囲、どこを中心にして加除するかなど、シャッターのタイミングを変えてみた。それぞれが違った表現になっているなと、いまさらながら自覚した。昔のカメラと違ってデジタル写真は、簡便に撮れるし、数多く撮ってもスマホやパソコンでの画像処理であれば、先の費用はほとんどかからない。気に入った場面はたくさん撮ることがコツにもなりそうだ。余分なものは消せばよいのだから。そんなこともこの間に再認識した。

撮影4:32


撮影4:50↓

撮影4:55↓
撮影4:56↓
撮影5:00↓
撮影5:01↓
撮影7:45↓
撮影7:46↓


2024年4月25日木曜日

花見山、桜満開人満開

 月曜日で幸いだった。それでも時間がたつにつれ人出がすごい。こちとらのように年配のひともいるけど、若い人たちも外国人も交じっている。小高いコースが分かれて伸びているのに、我がが身を忘れて結局は一番遠いコースまで歩いてしまう。サクラと菜の花の黄色がよく溶け合って、華やかな気分になる。ぞろぞろと連なって歩いても、お互いがそんなに邪魔しあうこともないのは、気分的にも楽だった。時々見える眼下の景色が、小高い山のなだらかさからみてちょう感じよく、高麗者(「高齢者」を間違えたにわけではない)にも優しく感じる。

 ずっと歩いて桜のいろいろな風情を写真で撮るのは撮影の練習にちょうどいい。撮り方と映り方を考えながらあるくと何枚も撮れる。デジカメは簡単に何枚も撮れるのにもかかわらず、撮る枚数が少ないことが多い。それは当然なことで、何枚も撮っても仕方がないからだ。ところがギッチョンで、ず~と写真を撮って人目にさらすということをやっていたら、どうもそんなことでは済まないことに気が付いた。もののある瞬間をシャッターチャンスとすれば、朝昼晩、雨風雪、季節、季節の変わり目年月の経過などなど、たくさんの異なった場面が対象になる(できる)ので、カメラで撮らなければもったいないということにもなる。シャッターを押すのは、「ここがいい」と決めて実行するのだから、その画像(フィルム)は自分のお好みの一枚なわけで「思い」が籠っている。だったら一枚だけ撮るということではもったいない。夕方の瞬間でも数分、何秒後かには表情が変わる。

 サクラを撮るなら、ここと決めて撮るけれど、ちょっと角度(360度ある)を変えてみるとか、後景をどうするとかで、一枚では終わらない。そんなに身を入れることはないかもしれないが、もう一つ言えるのは、人に見てもらって写真の楽しみを交流・共有するということだから、「もうひとつ良い写真」であれば、言うことはない。「もう一ついい写真」はどこかの写真展で選ばれるようなものまで考えれば限りないほど何枚も必要になる。

 写真展に出すなどということを考えないのも普通だ。それでも「もっといい写真」は撮れるけど、見てもらうという負荷(楽しみ?)がもう一歩素敵な写真を撮ることにつながることは間違いない。ただ、たくさん撮ったとしたら写真の後の始末をどうするかということがある。どこにどう残すか、もう断捨離で早々に片づけるのか、画像の後始末はどうしようか?が、ゴミ問題に近く課題になる。ちょっと話題がそれてしまったけれども、たくさん撮るということにかかわることで、花見山は良い対象だったということが言いたかった。


花見山








とびとび写真集

2024年4月18日木曜日

なにはともあれ写真を撮る福島の旅

 写真を撮るのが軸の生きがいといったらいいか、腰の痛みがあっても出かけて写真が撮れればいい。とりあえず贅沢な日常と言える。「さくらんぼの会」の旅は、ちょっと心配だったが、痛み止めの薬をもって、桜を見るのを楽しみにした旅だった。腹中の「流通障害」で、調子が悪かったがトイレに入ってからは、落ち着いてきたので安心した。初日は昼食後に霞ヶ城公園に行ってみる。福島出身のIさんが二本松城址の配置までもよく知っているので、コース案内をお世話になって、景色の良い高台(城址)からな眺めを楽しんだ。

 見下ろすサクラの方はほんのちょっとだけのお出ましで、残念だった。寒暖の激しい天気ではサクラもいつ咲くのか大変なことだろう。城址公園を下っていったところにある寺、大隣寺に戊辰戦争で奮戦した二本松少年隊16名の供養塔があるとのことで立ち寄った。一本桜の素晴らしい姿を観られた。宿は新野地温泉で、以前にも泊まったことがあるところ。この温泉の鄙びた様子と吹き上げる蒸気が印象的で写真むきだ。












2024年4月11日木曜日

クスリは毒か薬か

 腰が痛くて薬を飲む。でも多分痛み止めを飲み続けるのは良くないと聞くので、処方されて薬をもらったのに、ちょっとやめてみる。でも痛みがまた出てくるのでまた飲むといったいたちごっこが続く。何が原因なのかということでは、狭窄症気味だという判定があって、今は痛み止めと湿布の処方になっている。それに便秘が加わってくるから困ったことになっている。頭の先(中)から目下つまずいてできた足指の内出血、上から下までの各種の障害で賑やかに飾られている。素人なりの判断しかできないのに、あれかこれかと原因を考えてみても役に立たない。それはそれ「高齢だから」によって、万人が見舞われることゆえじたばたしても仕方がないよと、誰かが言っている。

 膝が痛くなって再生医療で痛みが取れてとても楽になった。なぜがそのころ肩が痛くなり始めて、一年以上たってひどくなるばかりなので、その治療も相談したら「五十肩」とのこと。治療は肩に麻酔注射をして、肩を「バリっ」と動かして可動域を広げるもの。痛て~の表現ピッタリの荒療治(先生ごめんなさい)で、あとはリハビリで肩をどんどん動かせとのこと。痛み止めの薬をもらって、痛みを押さえながら肩を前後左右に動かすことを始終やって、なんとか動く実感に達した。痛みも幾分か収まった。

 だけど今度は腰の痛みがでてしまって、薬が途切れなくなった。痛み止めの薬は続けない方がいいですよねと、先生に言うと連続可能な薬もあるのだという。いまはともかくその指示に従うことしかないと諦めている。一連の出来事を体験して、膝、方、腰を動かす際の連動連鎖というものがあるのだろうと思ったが、「高齢だから」との付き合いは、仲良くしたくはないが共生になるのかな。



2024年4月6日土曜日

写真家(シャシンヤ)がスマホ撮影のいくじなさ

 腰が痛いのを我慢して、カメラを持ち出して夜の桜を撮ろうかと近くのサクラスポットに出かけてみた。2キロ近くもあるカメラを抱えて、さて撮ろうかとファインダーをのぞいてみると、暗くてとても撮れたものでない。ISO感度を上げてはいるけれども、あんまり上げると粒子が荒くなってしまうので、ころあいを考えて設定したが、やっぱり駄目のようだった。

 普段三脚は持って歩かずに済ましているので、なんとかなるかと甘い考えでやったのが間違いだった。しかたなくスマホをポケットから取り出して撮ることにした。それが、カメラの扱いよりはずっと易しく撮影可能で、何枚も撮ってしまった。スマホの写真も結構よく撮れるので、馬鹿にできない。というより、デジタルカメラの行く末がどうなることかと心配になる。











2024年4月2日火曜日

サクラ開花を待っていた

 サクラが咲かないかとそればっかりを「目的」にして、咲いたからどうだというの?と言われたら反論は別にないのだけれど、心待ちにしているのが面白い。咲いたら集中して写真を撮るのがここ数年の行動で、楽しみにしているので寒い熱いとこの頃のはっきりしない天気で、余計イラついていた。先週から遠くのあちこちで咲いたよの声が聞こえてきてからは、今週は咲くだろうとの見方にようやく安心できるようになった。

 今年の桜は、退職者会の写真サイトにアップするためもあって、この時期の一大行事に期待をして、スマホで撮った写真を送ってもらおうと構えていた。昨日今日になって桜の写真が送られてきて、さっそくサイトの更新作業をした。こちらとしても各地の桜の様子を居ながらにして見ることができるので、そこいらの新聞よりも桜情報が集まって、観光情報のようになった。我が近所の桜も東西南北に咲いているので、ウォーキングがてら撮りに行こうと思う。







2024年3月26日火曜日

能登半島、被災の応援なのかな⋯

 北陸新幹線の延伸で金沢駿河間が開通した。それに付随させて「応援割り」という税負担サービスが景気よく打ち上げられた。20000円のサービスは全体でどのくらいになるものか想像もつかない。むろん発表もしていない(だろう)。かくも簡単に政策として決められることでいいのかという疑問もわいてくる。

 「日本政策投資銀行は福井県に年間309億円、石川県に同279億円の計588億円の経済波及効果があると試算」(産経新聞3.16)と目の前に札束をかざして「いいでしょ」ということなのだろう。しかしやっぱり石川県の仮設住宅にしろ水道にしろ、何をさておいても急を要することがあるのに、そっちのほうの手立てはさっぱり見えてこない。周囲に金を落とせば、悪名高い「トリクルダウン効果」でそのうち回っていくという仮説をまた使う気だ。

 該当する宿泊業や観光などは期待するのはわかるけれども、いまそれかな?と釈然としない気がする。それなら、北陸新幹線(JR西日本)が列車の料金を当分割引したらどうだろう。株だって上がるんじゃないかな?

ずっと昔の話、2012.02.09北陸線に乗車しているときに、凍った雪の塊で窓が破れて臨時停車し、窓ガラスを取り寄せて修理していた。ご苦労様。手際が良いのでけっこう起こることなのかと当時思った。




2024年3月18日月曜日

樹木医の診断から「移植に適さず」なので伐採??

東京新聞が書いた「葛西臨海公園の整備、敷地の樹木伐採」の記事

~~~~~~

 都によると、現水族園本館の北側に地上2階、地下1階の新たな本館などの整備を計画する敷地(約36000平方メートル)には、1700本の樹木がある。2023311月、樹木医が樹木の状況を調べた結果、病気による倒木や枝折れの危険性があったり、移植しても枯れたりする可能性が高い樹木が計400本確認された。

 都は、これらを「移植に適さない」と判断し、生態系に悪影響を及ぼすナンキンハゼなどの外来種200本と合わせ、計600本を伐採する。残る1100本のうち300本は保存し、800本は、新たな水族園近くに設ける広場「共生の杜(もり)」などに移植する。広場には、別の樹木も植える。

 現水族園は、米国・ニューヨーク近代美術館(MoMA)を手がけた世界的建築家の谷口吉生さんが設計。かつて谷口さんの事務所に勤め、水族園の設計にも携わった建築家の村松基安さん(67)は「もともと埋め立て地だった場所から、税金を投入し、豊かな自然環境に再生させたことは都の功績」とした上で、「生態系を破壊する計画は自然との共存と言えないのではないか」と訴える。

~~~~~~

  この記事に出てきたナンキンハゼが気になった。ナンキンハゼが生態系に悪影響ということなのだが、たしかに腐敗した葉は他の植物に有毒だということらしい。また、ナンキンハゼ(南京櫨)の葉や果実は人体にやや毒性があり、飲み込むと重度の吐き気や嘔吐を引き起こす可能性がある。種子も有毒-それは産業用途があり、石鹸やキャンドル作りに使用されています。といった説明もあった。しかし、多くの国で観賞用として「侵略的」として扱われているナンキンハゼでも、日本には帰化しているという認知も一方では存在している。どちらがどうということではないが、時によっては観賞用として重宝されながら、いまはまた外来種だからという排除の論理はいかがなものだろうか。このナンキンハゼを昨年11月に東京体育館で見かけ、カメラに収めていた。 






2024年3月10日日曜日

明るい太陽で元気が出るというもの

 太陽の光は何と言っても有難い。暖房費がかからないのだから、日当たりさえあれば心地よい場が手に入る。反対から見れば金さえあれば電気代、ガス代も払えばOKで、暖かさが手に入る。金があればとは貧乏人のセリフで、一生懸命生活しているものの実感だと思う。金を手に入れるのは相当大変だ。特に今は「まじめに、普通に」生きていくのが難しい。

 だいたい、つましくして生きているのに、容赦ない値上げや、あれこれの徴収だのと、懐から金を出させることには政治が熱心に動く。所得になる施策をまじめにやっていかないから、「少子化対策」など特別な手を打たなければならなくなる。働いて得た収入や政策で次代に引き継ぎ対応できる社会を作っていくのは当然政治の責任だ。

 そこへの「政策投資」の手抜きによって、ついに先が見えない日本になってしまった。その責任がまた「自己責任」という言葉ではもう通らない。政策実施のための税はなかったのか?消費税はどこにいったのか?どこに使ったのか?株価最高値になっても我が幸せは測れない。どこに向いて政治をしているのか?「防衛費」で43兆円のエビデンスは?

 裏金犯罪を是正する気も力もない、将棋であればとっくに積んで投了だ。寒暖差の乱高下で体調維持も大変だ。このまま光を期待するのは無理だろうけど、せめて寒さをしのぐ「夢」でもあればと思う。







2024年3月4日月曜日

人の嫌がるとこが好き

支持率がどんどん下がっていくのを見ながら、それでもコア(中核)な支持者がいるんだからなと思う。どんなに悪行をしようがトランプ候補の支持者のように、熱狂的な支持者がいて同調の声をあげる。そして支持率は上がっていく。強いものにあこがれる支持者は、直接利益が手にはいらなくても、(まったく失礼なたとえだけど)大谷選手のようにすばらしい活躍をする人に、身を入れて共振して満足感に浸るというのも、同化したいと思いの現れなんだろうか。

大谷選手の場合は実力もありその上、メディアの扱い自体がセンセーショナルに取り上げるものだから、余計にエスカレートしていく。「ともに天を抱く」ことで精神的充実感を手に入れる。それをもって関心が高いだの、人気が高いだのとのコメントを発するのがまた可笑しい。昂じさせているのはメディアなのによく言うよと思う。

政治倫理審査会でやっと公開でテレビ放映がされることになると、同日大谷選手の結婚騒動の報道が、より盛大に報じられる。国会開会中の重要な場面で北朝鮮のミサイル発射、などということが起きると同じような感覚に囚われる。最近はないがドラッグに手を染めた芸能人逮捕もそういうときによく表れた。

卓球の女子が活躍も日本人としてうれしいこと、もう少しで中国に勝てそうだとなると、親戚でなくとも応援はしたくなる。でもだからと言って政治のことを後景にしてしまうようなメディアじゃまずい。まったくの偶然だよねと思いうけど、大谷報道によって裏金報道が薄まることを自民党の議員が漏らしているとうから、窮しているときの助け舟という関係にはなっている。

日本の政党支持に関して「コア」な人たちはそう多くはないように見える。大きい政党でも、得票率で3割ちょっと。絶対得票率で10数パーセント少し上くらいなものだから、大したことはない。選挙制度と利益誘導によって随分と影響を受けるようになっている。これで政権担当しているのだから、「民主主義国家」などと言えた代物ではない。

それでも「コア」な支持者がいるのは、共振同化を求めてということなのだろうか。「寄らば大樹の陰」というが、権力だしある意味権力と親しくあるのも欲のうちかもしれない。せめて「惚れた因果であばたもえくぼ人の嫌がるとこが好き」というのが合っているかな。

いただきます さっ!のりかえよう 新しい政府




2024年2月29日木曜日

サッシの雨戸が暖まる頃でも体調は

 今日も幸い目が覚めてサッシの雨戸を開けようかと手を触れると、昔のぬるくなった湯たんぽのようにほんのりと暖かい。もったいないからそのままサッシを上げずに硝子戸だけを開けておいた。でも残念ながら日が当たるのは、隣の家のおかげでそう長くない。その温かさを有難いと思いながら、暖房機の熱で補充しないとちょっと寒くなってくる。まだ2月だから、無理もないけれども、アッツイ日の体験が妙に記憶に残っていて、逡巡したりする。

 光が強くなってくると、その光と熱が脳に刺激を与えてひとの活動に影響する。体が温まることで当然頭脳にも刺激をもらうことになる。暖かさが少し感じられて頭が涼しさ加減なら一番気分もいい。しかしいこうも寒暖の激しい日があると、体の慣れがうまく追いついていかない。

 最近知り合いの中で転んでけがをした人が4人いる。いろんな事情の違いはあるのだろうけど、「命に別状はない」程度の事故が起きているのをきくとなんらかの影響があるのかと思う。急な寒暖差で筋肉の動きにだって影響があるものだろう。

 相変わらずというか裏金天下人たちの所業はあきれてものが言えない。こんなふうになっている責任は己も背負いこまされることだけど、ほんとに何とかしてもらいたい。先日確定申告をしたら、少し年金額が増えていた。ところが介護と老人保健の年間の徴収額で帳消し近く持っていかれている。

 この先、少子化の対策の負担だの軍事費の被せだの社会保障費の削減だのと、聞いているだけで胸糞も悪くなって、寒暖差のストレスに加えて体調までもおかしくなる。血圧が高くなっているのはそのせいだろう。

白日の下にさらしてやる



2024年2月23日金曜日

玄関の鍵をかけるのを忘れた

 読者会があるので前日ももちろん、当日も課題になっている項目を読み込む。どうしても時間がなくて、(いやそうではなくてものごとに取り組むのに時間がかかって、)また追い立てられることになった。昼近くになって会に出かける時間になり、身支度を整えて玄関のドアを開ける。珍しく小雨がまだ続いていた。昨日玄関の脇の物干しにぶら下げた傘を外して、空を見上げるとポツポツと雨粒が落ちている。ちょっと迷ったものの傘は差すことにして歩きはじめた。

駅までは5分程度で着くが、改札前でポケットを探るとスイカをいれてある小銭入れがない。よくよく探しても出てこない。家に戻りながらハタと気が付いた。小銭いれには家の鍵もついているのだから、家の鍵をかけないで出てきたかな?と。家に戻ると玄関のカギは閉まっている。

もう、部屋からカギを持ち出していないことが確信的だったので、閉まっている玄関を開けてもらって、(もちろん連れ合いが締めた)部屋にある小銭入れを持ち出して再出発となった。鍵を閉めないで家の中に入るとは結構あったので、気を付けているが締めないで出て行ったのは今回が初めてだった。本を読むのが「義務化」されれば自分の脳にも刺激になるはずとの思いで、読書会に参加しているのに、このありさまではなにもならない。物忘れが一歩更新していらない勲章がまた増えたようだ。

花は春を忘れない えらいな





2024年2月14日水曜日

トイレが早いのは肝臓の働きが良いわけじゃない



宴会のときは、だいたいトイレに行くのが早くなる。記憶をたどるとそれはかなり昔からだった気がする。最近はそれが昂進してせっかくの談義の途中で、「行ってきます」ということがしょっちゅうなので、これは男特有の高齢化症状なのかと面倒さを嘆いている。所用で外に出かけるときは特にその催しの場所を想定することになる。じたばたしても状態が変わるわけではないので、これからの短いか長いかわからない付き合いとして、仲良くしていかなくちゃならないのだろうか。

それでもまあ定例の診療時に先生に聞いてみようかと決意して、「肝臓の働きがいいからですか?」と愚問をしてみた。先生は笑い出して、そんなことよりもアルコールのせいなのだから飲む量を減らし⋯気にしない方がいいです、との応答だった。「アルコール文化」をこよなく親しむ者にとっては、つれない返事だった。

アルコールでなによりカロリーが溜まることは再三言われることなので、消費のために診療所から少し多めに歩いて、もう一つの整形外科のリハビリにも寄って家に戻った。13000歩を記録して充足感をもったが、これで安心してまた一杯につながるのかな?

元気な皆さんで、しっかり飲み食べするので頼もしい。 





2024年2月8日木曜日

1611年(慶長16年)地震の復興で「助けた赤毛牛」が福を運ぶ「赤べこ」になった

 正月に行った会津、柳津の圓藏寺、「赤べこ」がたくさんあった。HPによると

「1611年に会津地方を襲った大地震でここ柳津も大被害を受け、虚空藏堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出ました。 その後の1617年に初めて虚空藏堂(本堂)は現在の巌上に建てられたのです。本堂再建に使われた大材は、只見川上流の村々からの寄進を受け、只見川を利用して運ばれましたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、仏のお導きか、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのです。」

今なら赤べこは国、自治体、ボランティアなどということになる。能登の対応が色々いわれていて、当然混乱はあるのを前提にしても、ほとんどが従来の動きと比べて「遅い」対応と報道されている。全体像がつかめない?などと…もしやドローンを飛ばして調べることも制限?海からモノを運ぶアクセスするのは不可能?志賀原発稼働のために騒ぐな?こんなときに「裏金問題」で大きな足かせになっているのでは?それも戦略か?ともかく政治がめちゃくちゃだ。