2011年4月14日木曜日

「義捐」か「義援」か

 つりの会も幾ばくかのことはやりたいと、義援金を集めようということになった。義捐と義援と二つの使い方どちらにするかが話題となった。

 身を捨てても助けるのが義捐の意味合い。ただし当用漢字にないから、新聞社が義援の文字を創出したそうな。
 結論は、両方排除しないとなった。

 言葉は豊かにあったほうがいい。意味するところが同じなら問題ない。言葉が違ってニュアンスは選択できるのが自由の拡大というべきだろう。
 
  「食べれる」は食べられる」の変形。私は「ら」抜きは日本の言葉を違えていると思うが、意味は通じると言うことから言えば、排除はできない。
 

 爆発があって、「原発の作業員が移動した」と「退避」とでは、相当受け止め方が違ってくる。言葉は豊かな方がいい。でも性格にしないと言葉が死んでしまう。

 本日「虚鯊数多フォト」更新
 「春から夏にむけての瞬間は」ttp://29.pro.tok2.com/~urohaze/essay.html