2016年2月17日水曜日

新しい写真ポイント探しながら能登の旅

 輪島の大沢町の旅館に向かう途中、北前船で栄えた黒島に寄って写真を撮る。来るたびにここはポイントとして、集落の小道に入り込んで、皆が散って撮り歩く。道で出会った婦人に挨拶したら「どこから来たね?」と聞かれて、ここが船乗りの町だったと話をしてくれた。そのとき北前船のことに思い至らず、妙な返答をしてしまった。せっかくあった地元の人なので、写真をとらせてもらおうかと、お願いしたのだが遠慮されてしまった。

 次に行った總持寺(大本山總持寺祖院)も交易に関わってきたところとして有名だと後から判った。能登地震で壊れてしまったため、まだ一部改修中だった。
 「能登半島の北前船ものがたり」(HP)に、「かつて、日本海側が「表日本」と呼ばれ、交易によって栄えた時代があった。能登の北前船主たちは、海運業で巨万の富を築き、寄港地は大いに賑わったのである。そして、北前船がもたらしたのは交易品だけではなかった。大庄屋であり、北前船を五艘も所有していた上時国家と、船で全国のネットワークを組織した曹洞宗(そうとうしゅう)大本山・總持寺祖院。能登の北前船の二つの拠点を通して見えてくるものとは。」と、かつては表日本と称された歴史が紹介されている。

 古くなったものに興味もあるし、焦点をあててカメラに収めれば、上手く行けばその歴史の臭いでも手に入れられればいいかなと思う。壊れかけた建物や小舟などにピントを合わせていく。潰れそうな建物も、廃墟も舟にもかつては活躍して脚光を浴びた時があっただろう。その記録を残してどうなるというあてもあるわけではないが、風光明媚ばかり追いかけるだけではつまらない。長い歴史を経て文化を形成したものだから、ちょっとばかりの撮影で表せるわけもないが、何かが見えてくるのを期待して撮り周った。