2015年3月20日金曜日

太陽を浴びた野菜が食べたいよ

 パナソニック福島工場は、デジタルカメラ生産を5月末までに止めて、昨年稼働した完全人工型植物プラントで野菜を作る植物工場として存続させるという。デジカメ部門の従業員約300人は関西地域などに配置転換して雇用を維持することで、「業務の効率化」をする。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を目指す事業として昨年3月に完成した工場だった。

 福島復興でというと悪くない印象も起きるが、福島を足掛かりにして(放り出してか)デジカメ生産は、山形県と中国の工場に集約するという、なんともフリーな身の処し方だ。スマートフォンに押されて世界的にデジカメ市場が…と言うが、300人の処遇はどうするのか推して知るべしで、福島から「ハイ」と応じられることは無理難題だろう。

 人件費が安い中国という安易な選択が、たやすく許されていいものだろうか。しかし、事業者のモノづくりやサービスが、簡単に転換できるという自由さとは、生産地や消費者の生活から離れて、ものともせずに切り替えていく。これも株主の顔を見計らうということなのか。
 
 夢想と叱られるかもしれないが、大手町のビルの中で様々な事情で「野菜工場」が出来上がったとすると、(その可能性は否定できない)その野菜をスーパーで売った場合「大手町生産」と表示される。それを買うことになるのだろうか。

 時期にはずれた野菜はまずい。野菜の旬を無視しているのは人間の側の事情によるものだ。都市生活が一年中通しての環境を呼び込んでいるからだ。都市部の生活がそうしないと成り立たないという事情が確かにある。これでいいのかということをいつも問い直すべきだろう。

 過酷な都市集中が自然の循環を無視して食を大量に手に入れる誘因になる。この集中がなお進められる「都市開発」が昂進するなら、食は宇宙食を射程距離にいれなくてはならない。太陽を浴びた野菜はなくなってしまうんだろうか。