2011年12月15日木曜日

助け合い精神だけで解決はできない


 猪瀬直樹副知事は東京都の瓦礫受け入れの判断は「助け合い」の精神の音頭を取る意味があると言っているとか。

 岩手山麓の滝沢村滝沢地区のゴミ処理場で受け入れることについて、「三陸復興のためにはガレキを受け入れなければならない」という意見が多数あったとのこと。

 助け合いの言葉には魔力があって弱い。厚生年金より受取額を多くもらっている共済年金はとんでもない!と朝の番組で声高に言っていた。これも「助け合い論」だけれども、見過ごせない。
 
 年金原資が少ないので一本化にして「均す」つまり多いところは減らすというのが解決策とするなら、こんな責任回避はない。

 年金を十分なものにするために制度設計する、企業にしかるべき負担をキチンとさせる、国は財源措置をちゃんとやるということがなかったから、今のような制度にしてしまった。

 なのに、年金を高くもらっているところはけしからんとするのは、本質を見ない議論になってしまう。

 国民年金は信用できないというもっぱらの評判ではないか。掛けてももらえないとわかっているものを掛けろというのは説得力にかける。

 同じ番組で、欧州連合と日本とのGDPの比較をしていたが、日本はおおよそ欧州連合と同等の経済力と説明していた。そんなに力のある国が、年金ひとつ満足な制度にできないわけだ。

 イギリスでは50歳で退職して年金で暮らせると聞いたことがある。だいたい、民主党公約をなくなったものとして議論をすること自体が、皆の願いからの出発でないということだろう。論議の積み重ねさえないなんとも発展性のないことだ。