2015年11月18日水曜日

来年また写真展の計画が決まった

 夏にやった写真展のグループで、また来年の夏に展示会をやろうということになった。今年やった展示会に向けての準備過程で、自分にしてみれば写真をもっと良いものにしたいという反省を迫られ、自覚させられたものだから、もう一度やる目標を立てることは悪いことではない。打ち合わせの一回目で諸所の体制を相談した。分担も一人に集中してしまった前回の反省も踏まえて、分担できた。

 相談事が終わったあとは、例によって茶話会ならぬ酒話会が始まる。写真という共通の話題で、それはそれは盛り上がる。自分が撮った写真の「これがいい」と思ったものでも、合評会ではヒョイと簡単に取り下げられたり…といった話がツマミに加わって宴席が盛り上がっていく。自己流の見方だけでは写真の善し悪し絶対に決められないというあたりは、いつも次の過程へのステップになる。もっとも面白いのは、「この次の写真展では何を出そうかな」という話で、出したいという写真が当面は浮かんでないことだ。プロになれば、出すチャンスを捜してでも自分の撮った写真を押し出していくのではないか。そこは想像でしかないが、私など素人に毛が生えた程度のものは、たくさん撮った写真群のうち、展示会に出品するものを選び出す作業工程自体が面白いうということなのだ。

 思ったものが出来上がる、造り上げるという人間がもっている特性を謳歌するっていうことは文化なのかな。人を貶めたり、殺し合ったり奪ったりするというバカげた文化とは雲泥の差だ。どんな写真を撮るかどこを切り取るかは、また悩ましく面白いところで、「プロ」写真家の展示会や出版した写真集をみて参考にするが、人と違うところを捜して、あるいは新しい着想で撮ろうと頭を使う。この点も宴席での話は参考になってくる。うん、良いのが撮れたと満足感を手に入れ、これがまたあとから惨めな結果を生むことが往々にしてある。こんな繰り返しだ。ああでもないこうでもないと頭をめぐらすことは頭脳にとっていいことに違いない。ここのところ、雨が降っても撮るという実践に真面目に取り組んでみた。これも新しい分野になるのかという下心も当然あった。でも天気が曇りであれ嵐であれそんなときでも、写真を撮っている人はたくさんいることはすぐに分かった。