2014年9月17日水曜日

屋根の下のテンゴクとヂゴク

昨日はまだ暗さが残る5時に起きてしまった。米を砥いでから7時過ぎまで余裕の感じ。労釣連のHP更新をしたから、朝から張り切っていた。味噌汁は玉ネギにナメコを入れたもの。お婆ちゃんは「豆腐を食べていいかい」という、小さな豆腐の3つ入りのものを購入してあるのでOKだ。もちろん「はいどうぞ」。 
何がどうなっているのか、作って用意したものは、多くは食べないのだから、ピントが合わない写真のようだ。イヤそうではない子供たちも同じことか。イヤイヤそうじゃない。自分でさえそうだったのだから人の批判ばかりはできないこと。作る人の苦労というと沽券にかかわるから、子供たちにもにこやかに言わなくてはならない。

朝食が終わって、今日は洗濯をしないので、資源ごみを外に持ち出してから、9時半にはパソコンの前に座る。朝差し掛けだったHPの更新作業は昼までかかってまだ終わらなかった。昼食時にお婆ちゃんは2階から降りてきて「食べたくないねー」という。実は自分も食欲がなくてどうしたものかと思っていたが、食べないというわけにもいかないので、中華つけ麺を食べることにした。無理して食べなくていいよといったら、ほんの少しだけ食べた。息子なら二人分は楽に食べるところ、中高齢ペアでは二人前で十分だった。

午後になってようやくHPの更新ができた。一息ついて気分が楽になったとこで主夫の再開だ。冷蔵庫になくなったものをメモに張り付けて、キュウリ、ナス、ジャガイモ、玉ネギなどなどを買い足す。が、買い物とは余計なものを買い込むことにも「意義」があるようで、あ、そういう惣菜でとか、商品を見ながらあれなら作れそうだと思って、余分に買い込む。それで安心を手に入れることができる。しかし、今日はメモなしで買い物にいったら、ナスは冷蔵庫にあったじゃないか。馬鹿ねー。ご愛嬌という良い言葉が役に立つ瞬間。買い物に出て、山手通りコースを遠回りしてウォーキングしながら、あれこれ算段したのにまとまってなかったらしい。脳の前頭葉「一時ファイル」がすぐどこかへ行ってしまって、追いかけるのに大変だ。

次にやること忘れちゃならないことを指さし点で呼認識するものの、体調で左右されることもあるらしくて、いつも気合が入っていい結果が得られるというわけにはいかない。きっと自分の脳をたぶらかしたり、褒めたりしながら気力を湧き立たせることがこれからもっと増えてくるのだろう。気持ちと自分の動きがマッチしないことがよくでてくるしから、あんまり責めないようにするつもりだが、「815分に食べる!」と宣言されると、勝手にしろというには平時すぎる。と、戦闘状態を心待ちにするかのような気分に陥りそうにもなる。なんであれ、余裕が必要だとあらためて思う。キリキリと成果主義に追いかけられるわけではないにしても、「やってやろう」という気構えのうちには、ストレスが生じることになるのかもしれない。