2017年3月25日土曜日

♪どんなにじょうずに隠れても♬

ひよこがね
お庭でぴょこぴょこ
かくれんぼ
どんなに上手に隠れても
黄色いあんよが
見えてるよ
だんだんだーれが
めっかった
(「かわいいかくれんぼ」中田喜直作曲)

 そのご婦人がこんなにかわいいというわけではないが、籠池氏証人喚問をみていて頭に浮かんできた童謡。「♫どんなに上手に隠れても…」の詩は本来の意味が違うとサトーハチローが怒られるかもしれない。幼くかわいいというところだけをちょっとだけ使わせていただいた。廃止された教育勅語に涙し、とりまきには誠実実直さを振りまき、Facebookで反論を試みるなどみると、隠しているようで見えているよねという以外ない。

 便宜を図っているということは、どんなに隠し立てしても消えることはない。逆説でいえば「あった」ことだから。首相とマスコミの常設宴会や報道対策、ネトウヨを使った圧力もほころびが見えてきた。隠し立てはやっぱり都合が悪いことを見せないようにすることであることを、また確認しなくてはならないだろう。

 隠し立ては、暮らしやら健康やら財政支出やらをつかさどるお役人たちが、政策の名のもとで一定の部分だけに優遇を施すために必要なことだった。そのため動くものだと、このところの報道でも明確になってきている。「せっかくのマスコミ対策」も、隠しおおせるものでないということがはっきりしてきた。

 これほどまで貶められている当該お役人たちも、ある意味気の毒ではあるが、当該の財務省理財局長が国税庁長官に異動という、まるで劇的な変身も漫画チックというか、妙に絡んだことになっている。税を使う方から取る方へという事情は、「使わしてもらった分は、税をいただきます」ということかい?というアホなことを考えてしまう。必然なのか偶然なのかはわかりようがないが、漫画では使えるだろう。

 森友学園の「ああ青春の胸の血は」も愉快な話だ。無断使用をさておいても、いくら好きだからと言って「建学の精神で」他者の歌を使うって何だろう。うちのカミさん、追っかけファンなのでご立腹だ。自分でするものだと、全面批判をしているブログがあった。

→ 校歌には見学の精神が