2016年12月31日土曜日

カレンダーづくりは金がかかるけど

 デジタル写真研究科で、毎年撮りためた写真から適当なものを抽出してカレンダーを作っている。今年3回目の作成となったが、今回は昨年撮った写真のうちからひっぱりだして、多めに絞り込んでから最終的に表紙を含め13枚の写真を選定した。うまい具合に月一くらいでは、近所でのものをふくめて撮りためたものがあるので、選択対象には困らない。
 
 抽出した100枚ほどのうちから25枚を選択した後、絞り込みをして13枚をカレンダー写真に決めた。1回目の注文で出来てきたカレンダーに、具合を確かめたうえで、写真への「タイトル」と初回の写真を変更したものを修正して発注した。

 ところがタイトルは直っているものの、写真の方の交換がない。発注先へ事情をメールで発信したところ、システム上の不備は認められないが、不具合がゼロではないということで、回復に応じてもらえた。2回目の出来上がりでは、タイトルについて初回のものに「・」を使ってすべての写真を修正したものが反映しているのに、写真だけが変更されていないのはどうしてなのか理由がわからない。

 注文の段階で重複して変更などをすると、対応ができないようなことがあるのだろうか?今回はこれまでの経験の結果、少々余裕があったようだったが、終盤で躓いてしまった。

 カレンダーづくりは、「良い写真」選択と「写真現像(編集)作業」によって、撮ってきた写真のひとつの纏めになるので、ひと区切りとなる。カレンダーの進呈先から、写真に対する世辞をいただくのもうれしいこと。もちろん金もかかるが。カレンダーのうちから6枚を選択。

立山連邦

神田川

上田市

鹿教湯温泉


ロシア

山梨県早川



2016年12月29日木曜日

暮れの我が家の喧騒

 暮れにはいつものように、岩手山ろくの仙人のところへ行くはずだった。ところが手筈も土産も用意できて、常連のカメラの充電も終えてほぼ準備が整ったところで、連れ合いの具合が悪くなって入院ということになってしまった。やむなく訪問はやめることにした。

 病状は一度数年前に陥ったものと同様らしい。検査では本人の病歴を聞き、CTスキャン検査で、それを疑ったのだったが、それ以上の内視鏡検査はやらないという。以前のときはやったのだったが、今回は「いまやれば腸に傷をつける可能性」があると、退院後の来月に入ってから通院で内視鏡検査をとの説明だった。

 重湯を食べて安定していれば、いまやっている点滴は水分補給が主なので、ほかにやることはないという医師の話。心配ですかと医師が言うが、大丈夫なのかという点ではもう一つしっくりした説明がない。年末にかかるから病院の人手が少なくなることを想定しているのかなと思わせた。ここは医者の見通しと確信があってのことと解釈する以外にない。

 あとで何もなければよいがと、「退院させられたような」感じを持ちつつも家に戻ることになった。それはそれで半分は安心ではある。義父母がいなくなっての年末で、家の中の空間のバランスが変わって、人気のない冷やかさが増えている。その分残った者たちのそれぞれの重みが増したようでもある。

 病院通いの合間、年末の挨拶ハガキを昨日までかかって書き上げたのだが、一部差出人を書かぬまま発送してしまった。相手はわかっていたので慌てて電話して、笑い種にした。来年も先行き何があるのかわからないが、いまから待ったをかけるわけにもいかなし、考えても仕方がない。できることを後悔なくやっていくほかはないなどと、来年の構えを想いながら、気持ちの整理に努めた。


2016年12月23日金曜日

不時着と墜落への「御意」

 まったくの笑い種だ。墜落はオスプレイの持っている個性だといってもいいほどの危ない飛行物体。実際よく落ちるわけだから、危険だとアメリカ国内でも見られているものが、とうとう落ちたか当然にも落ちた。これがマスコミの言葉では「不時着」とかまびすしく宣伝されている。これが墜落でなく不時着という出元は政府。

 それぞれの定義はさておくとして、落ちるというもっぱらの評価をしたものが落ちたのだから、これは異常なできごとに違いはない。文学者はこれをなんと表現するのか聞いてみたい。「殴り込み部隊」という異名をもっているオスプレイは、その名ゆえに「敵」への圧力として効果をもっているのだろうが、仮面のために「殴り込み部隊」という表象も公式説明では消し去ろうとする。薄明りの中でオスプレイの強さ怖さを見えるようにしておくというわけだ。

 発着訓練でもよく落ちるが、今回は給油の訓練で落下した。しかし米軍高官の「住宅地に落ちなかったことを感謝すべきだろ」という言葉はびっくりの度を越えた。リスクは日本が背負うのが当たり前という意識だ。これじゃやっぱり「占領軍」じゃあないのと思う。「日本を守ってもらうための基地」が、もともとアメリカが日本を守るという意図は、最初から置かれていないし、米軍の利用は「戦争を仕掛けるため」だったとその経過が物語っている。

 その虚構にすがって、アメリカのなすことすべてに「御意」としか反応できないとは、なさけない見識だ。危ないよという批判は今回のことで、本当に危ないのだということが実証されたにすぎない。政府がオスプレイは大丈夫だよ、危なくないよと説明し全国の基地への配置を認め、米軍の訓練もやり放題の野放しにしてきた。うわべは条件をつけてもアメリカは守らない。ノーは存在しない。

 おまけに新年度予算で100億円近いオスプレイを4機も購入しようとまでしているのだから、これも「安全神話」だというより「盲動」というしかない。ついでながら、来年購入しようとするF35戦闘機は不具合で長期に製品化できなかった。こちらは1140億円以上するしろものだ。同様に危険なしろものだ。これは6機買い込むということだ。沖縄の問題だけでない。これがよしとされれば、日本中の基地とその周辺で墜落の危険を招くことになる。

2016年12月18日日曜日

義母、身罷る

 14日に義母が身罷った。医師の宣告から一週間の後だった。義父が亡くなってから六か月、89歳の往生だった。片肺のハンディを持ちながら、昭和38年に新潟から東京にでてきて、50年余の時間を、働きかつ家族との時間を過ごした。

 やはり義父に旅立たれたのが大きな気落ちになったのだろうか。弱音を吐くことが増えていたことが印象に残る。病院でもう眠るばかりの顔を見ながら、命が無くなるという重みを家族とかみしめた。落ち着いてくるにつれ、家のなかの一角がスポンと抜け落ちたような寂寥感が湧いてくる。

 直接のきっかけは肺炎だったが、傷んでいたところはそればかりではなかった。病院通いをしながらも、自覚して足を引きずりながらの散歩にでかけ、「途中休んでね」とよく話していた。寄ってくる病魔との闘いという、深刻さを感じさせない様子だったが、本音は出さぬようにしていたのかもしれない。

 一緒に過ごしてきた時間を今になって思い返しても、至らなかった後悔の上塗りになるばかりだ。孫の運転するレンタカーで温泉に行くのが楽しみだった。温泉につかり、土産屋に必ず寄って土産を買い込むのが一番の楽しみだった。風呂は大好きで、家の風呂にも長時間入っていた。あまり長いと心配だからと、最近はそれも好事魔多しとなった。

 もっている体力にもかかわらず、長命に至ったのは義父の努力が大きかった。「爺ちゃんの料理うまいね」という言葉も、義父が寝たきりになった10年近く前から途絶えてしまった。寂しさはそのころから募っていたのだろう。耳が遠くなって会話が交わしにくくなってからは、日常生活からの疎外感を味わっていたのではないかと想像する。

 しかし頑張ってきたと、それは間違いなく言える。わが身の齢と活力からして、そこまでの域にまで到達するものかと思う。戦後の困難な時期を超えてきた力が、基本にあるのかとそんな気もする。合掌。

2016年12月10日土曜日

風が強くてイチョウの葉が散る

 朝がた風が強く吹いて、イチョウの葉が昨日よりもたくさん歩道ちている。イチョウの葉を踏みながら、「危篤」状態の義母が一昨日から入院している病院に向かう。とりあえず小康といっていいのか、脈拍が上がり下がりしながらも、命がつながっている。

 救急車で「大」病院の救急センターに運ばれて、一般病棟移っても長居ができないから、転院してリハビリ名目の治療がされていた。見た目でも身体の状態は落ちていく一方で良くなる期待はもてない。日を追うごとに呼吸がつらそうな様子が進んでいる。点滴だけの状態では、家に帰るということも無理そうだ。

 昨日参議院本会議でTPPが強行に採決されて、多国籍企業で生きていかれる企業以外は、過酷な競争に放り込まれる枠組みが押し付けられた。それもアメリカがやめると言っているものを、前のめりで決めるということだから、なんということなのだろう。アメリカにその転換をうながすためという余計なお世話のことだ。

 昨日のニュースで、福島第一原発の廃炉、賠償に21.5兆円を消費者に負担をするという驚いた話。こういうときは「自己責任」というワードは隠れて見えなくなる。今朝のNHKの「週刊ニュース深読み」でもTPPも廃炉賠償費用の負担もとりあげず、カジノ議案についての動きを、自民党内部からの批判も浴びている状況により、様々な意見をということで少々取り上げただけだ。

 このところ、マスコミはおしなべて韓国大統領の弾劾案可決のニュースを一面トップの扱いで、不正追及の「正義に味方」になりきっている。だから日本の政治の酷さをみごとに目くらまししている。まったくマスコミは腰の抜けた状態だ。それ以上に、これでは簡単に戦争に道にもっていかれる体制ではないかと思うと、背筋が寒くなってくる。病院の集会場で「どこかで春が」の曲がかけられている。患者さん安寧を思ってのことだろう。春は必ず来るとしても、暗澹たる気持ちはぬぐえない。

2016年12月2日金曜日

なんだかんだで一年終わる。早く終わってほしいものもあるけど…。

 12月に入った。時間が早く過ぎるのは、自分の脳細胞の伝達がゆるゆるになってきたせいだろう。やるべきとした自分の決め事も、どっこいしょ気味の立ち上がりが多くなってきたから、時間がたたないと結末に到達しない。忘れてしまう所作を人と笑いあうのはいいが、大事なことにかかわったらどうしようかと心配が先立つ。深刻なことは考えないようにして、なるべく人の悪口でも考えて過ごせば、健康には役立つのかもしれない。意に反して捨てたくない細胞も日々終焉を迎えているにちがいないから、こっちだって執念をもって立ち向かわなければならない。

 年金の削減やらTPPやら保険の負担増やらのこと、マスコミの報道はすっかり自粛してしまっている。国会でろくに審議もせずに「強行」採決が、櫛団子のよう連なっている。テレビ報道はこのことをちっとも取り上げない。取り上げているのは、海の向こうの韓国の大統領の話、そしてこういうときに亡霊のように現れる麻薬のニュース。

 報道するほうだって、報道内容の検討をしてのことだろうから、そういうやらせ番組を仕立てているというふうにしか言いようがない。朴槿恵大統領がいかに不正でも、ASKAのお母さんが病気でも、それはニュースには違いない。しかし不正の話なら日本の閣僚の中の集団不正は野放しにする気か?と腹が立つ。オリンピックの経費は知事が2兆円かかるのは高すぎると言っている。まってくれよ。2兆円から少し欠ければ落としどころになるのかよ。

 2兆円もの資金に群がる、したたかな入札参加企業の顔を想像するよ。冗談じゃあない。こちらは、年金を削られるんだよ将来にわたって。そんな内閣の支持率が60%あるという。とんだ笑い種だ。どうひっくり返したってそんなになるわけがない。「誘導尋問」のトリックで作られていることは疑いない。こんなことをマスコミなら、もうちょっとまともに分析してとりあげなくちゃ笑われるよ。