2016年4月8日金曜日

防潮堤を見ようと石巻に行く

 復興の遅れがニュースで取り上げられて、東日本大震災復興への振り返りがあった。今はどうなっただろうかと、確かめたいものだと思っていたら、娘から行こうと声がかかった。大きな被害を受けたのにどれだけの復興がすすめられているのか、目で見たいと思っていたようだ。

 実は防潮堤の建設工事が、様々なこれまでの生活やら、慣れ親しんだ海との関係もあまり考慮されずに、建設が進められているということを聞いて、どんなものかと見てみたいと思っていた。

 日曜日に出発して、一気に女川原発を目標に走った。美浜原発と同じように、原発施設には近づけない。PRセンターに入って、あれこれの自己宣伝を眺め、経年の訪問記録には、23年間で100万に達したと表示され、2012年で表示が止まっていた。そのまま止まっていることになればいいと率直に思った。

 震災の時に被災者を原発の施設で受け入れたときのことも写真に撮っていた。戻ってからNETを見てみたら、被災者が原発の施設に集まってきたので、受け入れたとなっているので、最初からそういう時のために備えていたわけではないということだったらしい。

 女川原発は牡鹿半島の先端部分を占めていて、近づくのには曲がりくねった道をかなり走ることになった。半島の道路はあちこちで壁面工事をしていて、今もって復興の造成工事をしているところだった。

 小さな港(荻浜港)は真新しいコンクリートが敷かれて、古い漁具が置かれている。それが通常見る港の風袋とは違った落ち着かない感じだった。

 石巻市魚町付近で、真新しい防潮堤が見えたので車をそちらに向けて曲がった。ここもちょうど港の造成工事をしたばかりの港と、石巻漁業市場、漁業関係らしい倉庫があり、そこまで防潮堤の端が伸びていた。

 その防潮堤の湾曲したスタイルは、おそらく海との親和性を考えたものではないかとみえた。

 復興予算の目玉のような使い道として、防潮堤の建設がすすめられ、住民の意向の多くは無視をされるか、あるいは時間切れの相談事として扱われて、海と共生してきた生活を分断することを、問題とする意見が現地以外からもでている。

 「防潮堤が高くて海が見えない」という話もうなずける。万一のときのも津波が見えないというのはどうなのだろうか。いつまた津波が来るかもわからないから、防潮堤を張り巡らさなければという理由は反論しにくいが、いつ来るかもわからなくて過ごしてきた日々の積み重ねは、どれだけの「価値」と重みを生み出してきたかも考える必要があるのではないのだろうか。いくら備えようが自然の力には及ばないよとの声も的を射ている。