2012年7月17日火曜日

民主主義って難しいけどお付き合いしないとと思って

 原発意見聴取会で「電力会社関係者」がちゃんと出席しているという報道。抽選だから不正はないというが、問題になったら不正はないのに「改善する」ということ、これもおかしなことだ。民主主義とは日本の政治には「ないに等しい」ことと見える。


 そう思えば「自由」だの「民主」だのという文言を使って、実はそれとは中身の違う政党がずっと存在しているというのも、そういうことかと思う。民主主義がなんたるかは、わかりにくいし、なかなか我々の身に付きにくいことだと、日ごろ思う。多数決というものだけの「利用法」では魅力は語れない。


 情報の共有というのも民主主義がないといけないのだろう。プラスの情報もマイナスの情報も共有できなくては共通の土台に着けない。原発利用をどれだけにするかの論議を、数か月で結論を出すこととしているが、それを聞いたドイツの人は「我々は5年かけて」論議してきたと批判したという。


 民主主義が時の権力者にとって都合よくつかわれるのでは、多くが望むことが通らず、世の発展とはならないものだろう。小選挙区中心の選挙制度が、圧倒的な死票を生み出しているから、皆の意に沿わない民意のねじれがいつまでたっても治らないということになる。まったくもって議会制民主主義に反する。


 アラブの嵐で役立ったツイッターやフェイスブックは民主化闘争の手段となった。と聞いて、登録して参加してみた「Facebook」に、昨日の「さようなら原発10万人集会」の写真集を載せてみた。圧倒的な民意を集めたと確信をもった集会を、たとえちょっぴりでも伝えたいし、共有したい。


FaceBook

 Facebookの「友達になる」ための通知を、手広く発信してしまった。ご迷惑の向きもあったかもしれない。複数の友人から、「なんだかわからない」と連絡があった。でも私を知る人は「私が危ないもの」とは思わないでしょうから、アクセスしても大丈夫。(写真をクリックすると拡大しますが、その写真をクリックすると次の写真に展開します。都合28枚。)