2020年9月14日月曜日

Withコロナ

  様々なウィルスが宿主を伝って増殖を図ろうとするのは、自然界の摂理といえるのだろう。人類にとってそれは「都合が悪い」が悪いこととする。単純に考えれば、経済成長に対する負荷と経費にかかわることになるから。でも時系列では人間がウィルスの世界に土足で踏み込んだ結果ということがいわれている。
 
 アフリカの森林に踏み込んで、野生動物を捕獲して売る、喰うなどの行動を経済活動としてやっている。コロナとの闘い、戦争などみる向きもあるけれども、経済成長を金科玉条に思うことから抜け出せない人間の性というものだろうか。
 
 Withコロナ=共存せよ、我慢せよとの意味合いにもとれる言葉を使っている。コロナ禍を収束させるための医療施設や従事者なり、様々な事業継続を支える資金援助なりへの対策が遅々として渋滞、というよりは「させて」いる節がうかがえるのは、まったくおかしい。
 
 インフルエンザで死亡する方が多い、だから騒ぐなということまで声を上げる輩もいるが、それならコロナによる死亡者がでてきてもやむを得ないし、さしたる対策は不要でいいのだということになり、政治がそういう声も念頭に置くとしたら恐ろしいことになる。
 
 「自粛警察」による監視体制も、不十分な対策だからこその反応なのだろう。Withコロナは、同居すればいいわけではなく、収束が思惑通りにすすんでいくわけでもないことは、これまでのウィルスとのせめぎあいでもはっきりしている。これから先に撲滅ありということでなく、知見をこらしての対応の結果として、共存に向かうということではないか。

9.14東洋経済 ~                                                                                    歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。