2014年1月12日日曜日

嘘は罪、罪にならないものあるけど


 ダイオウイカが捕獲されたとFacebookに投稿があって、そんなに大きいものが深海にあるんだと思った。その後、実は写真の編集ソフトで、元のものに修正を加えたものだったという投稿がまたあった。修整したものということがわかたのはよかった。交流サイトで事実が伝えられるべきことは、大切なことだと思う。少なくとも投稿した内容が伝播していくのが前提であれば、そのことはより重要なことになる。


 写真編集ソフトは随分技術的にアップしているし、その気になれば、あるものをなくして、ないものでも画像に加えることが簡単にできる。グラフィックの範疇には写真をふくむらしいが、写真は単独の発展と歴史を持っているわけだから、グラフィックとの融合が進んでいるという片づけ方では済まない。やっぱり撮った写真の修整は、最小限にとどめるべきという意見に賛成だ。

 対象に感じて撮ったものと相当部分で違ってしまう、たとえば曇りなのに晴れみたいにしてしまうとか、元の写真に入っていたものを削ってしまうということでは、写真の「写」でも「真」でもなくなってしまう。東日本被災地の記録写真に、大幅に修整があったのでは記録としての価値はなくなる。


 もう一つ、猫が空中を飛ぶ写真が写真専門のサイトに投稿された。この写真に546人の「いいね」がついていた。分母は分からないが、相当の人が「評価」をしていた。猫が写真に写っているような飛び方をするわけはない。放り上げたに違いない。そこまでやって写真を撮るかどうかという、写真に対する思想があるのかもしれないが、それでいいのかどうか疑問に思う。

 その猫この次に逢ったときには逃げ出すことだろう。ものに感動して、愛でて、誉めて、ささやきを聞いてドキドキしながら撮るという範疇から外れているような気がしてならない。自分が感動して懸命に撮ったものが、人に感動を与えることができれば極上だ。