2015年10月10日土曜日

Windows10との付き合いはもう少し先

 Windows10を導入しろとタスクバーにサインが居座っていて、消すことができない。「入手、予約、アクセス、詳細確認」のいずれかを選択しろと勧誘している。Windows7を使用していから何年もたっていないし、使い慣れたソフトもたくさん導入しているから、新しいものへアップグレードすると使えなくなるソフトがいくつも出てくる。それを買い替えなくてはならないものもあるだろう。ソフトもいくつかを除いてはそんなに使用頻度は高くない。懐の経済には素直に反応するわけにはいかない。それを見越してか、タダで導入ということでちょっと気を引く。新しいものへのバージョンアップは特に、「欠陥」を前提に開発されるのが普通になっている。もっとも、良心的に思えば、不具合を指摘させて改良に結びつけるのだから、発展方向には違いない。

ボーイング787の充電池の欠陥や車の欠陥のように、事故が表面化してから修正に着手するのは普通のことになっている。解釈によっては実験させられて、その不具合を改良するということに利用される。ただのパソコンアソビなら、スマートフォンのように直接命の危険に結びつくことはまずないが、製作者側の足りない部分を埋め合わせる手先になるようで、どうもしっくりしない。原発事故であからさまになった「安全神話」のようなものが、そこにでも介在しているのではないか、ほんとうに努力をつくしたのかもハテナ印をつけたくなる。

もっともだからこその無料バージョンアップなのだろうけど、シロウト方面としては、修正バージョンが出てから導入した方がいいということらしい。不具合を修正した「サービスパック1とか2」とかというものが出てくるのだろう。現在でもバージョンアップの結果いろいろな問題がでてきているらしい。もう少し待つのがいいと言われている。万全に重きを置くなら、パソコンそのものの取り換えを展望した方がいいのかという気もする。パソコンは寿命があるし、他のもののように「使わなければ新しいもののまま」というものではない。古いものを後で使い始めると、浦島太郎のように現実にきょろきょろしてしまうようになるのだろう。やっぱり消費財なのだ。

Windows9がどうして抜けているのかというのは噂の限りで、メーカの発表がないのでわからない。結局のところただ製品名として使われたというところらしい。「Windows100」でも「1000」でもよかったのだろう。