2016年5月8日日曜日

野島公園でアサリと人間の多様性を見る

 野島公園でアサリ獲りして遊んできた。実は少々疲れ気味の体調で、雨でも降ってくれれば、家でゴロゴロできて「晴耕雨読」ならぬ、たまった本読みをできるかと後ろ向きの気分でいたところだった。そろそろなるべく楽をしたい気分が勝るかというときに、ムチがはいるのは健康にいいに違いない。ここに三日はたしかに寝転がって本を読みつつテレビをみつつ暮らしているのだから、腰が痛くなってくるのも当たり前だ。

 約束通りに、2年前にも行った金沢八景へコッフェルとガスコンロをもって参上した。前回も若い人たちが、友人のUさん夫妻に誘われて集まっていた。顔を知った人もいるが若い女性が何人もいると、こちらが照れる。一つ乗り換えて野島公園で居場所を決めるまでにはさしたる時間はいらない。ビニールシートが朝から吹いている風に飛ばないように荷物で押さえて、身支度して11時の干潮に間に合わせて干潟に入りこむまでは、何分もかからなかった。

 私は前回きたときに、しゃがんでいるのが大変だったので、今回はサボリと決め込んで、カメラ撮影に徹することにした。朝集合したころは、空の半分ほどに一部黒雲まである不穏な空模様だったのに、すっかり予報通りに晴れ上がって気温が上がり、海水に浸かっても冷たさを感じるほどではなかった。眺めるところ随分多くの人たちが干潟の海にいる。めったに見ないことなので、しばらく眺めていた。

 子供連れの家族も年配者も砂をかき分けて熱心にアサリをとっていたが、どこの場所でもこれでもかというほどたくさん獲れる。潮が引いて水が少し残っているところにアマモの群落がひろがっているから、その環境も繁殖に影響を与えているのではないだろうか。アマモの根元に稚魚が遊んでいて逃げようとしない。東京湾内でこうしたところは少ないだろう。ここは海の匂いが確かにする。生態系が保たれていると感じられてうれしい気持ちがする。

 口だけアサリ獲りに参加して、「アサリって殻がそれぞれ違っていておかしいんだよね」などと能書きを言ったのだったが、言いつつ人間だってみな違うのだよなと付け足しして自分で可笑しくなった。ここで人間模様を撮るのが、今日のテーマだったからあれやこれや見計らって、シャッターを押すことに専念した。アサリの殻と同じように人のアサリ獲りスタイルも、さまざまで、しゃがみ込むのは同様にしても浅瀬に座り込んでじっくりやる人、両手を使う人、熊手を使うだけでなく手を砂地に突っ込む人、シャベルでもち焼き網のようなものですくう人、白い塩のようなものを振りかけて、アサリの呼吸を確かめて取る人、それぞれ人百態というところだ。

 座り込んで手際よく四角のザルに砂ごと掻き込んでいるオジサンがいた。聞いてみるとザル状になっている隙間から1.8ミリ以下のアサリは漏れ出るようになっているのだという。1.8ミリ四方の穴が開いている「ザル」は炊事に使うようなものらしいが、その穴の大きさのものが店ではなかなか手に入らないということだ。県の条例で鋤簾(アサリ獲りの道具)を使うことが禁じて、保護をしているのだと話していた。小さいものは残して生かしておくという漁師スタイルの「自然保護」に感心した。神奈川県の水産試験場がアマモの養殖に力を入れていると聞いたことがあるが、こうしたことが広がっていけば海の再生が進んでいくことだろう。皆で大切にしたいものだ。