2018年9月29日土曜日

写真展の講評で喰らう一撃

 写真を撮るときは「思い込み」をうんと入れ込んでやる。そうするのは自分に限ったことではないらしい。「いい写真だろ?」と、誰と言わず言いたいのは、写真を愛好するものの性なのか、重要な動機付けとなる。

 問題はそのあとだ。時の「評価」に晒すと、どういうことはない、膨らんだ風船が見事にしぼむ。しかも都合の悪いことに、動機であれ理屈であれ、説明を加えてしまうと、それを写真で表現できなかったんだねと、恐ろしい言葉が跳ね返ってくる。

 今回の講師は「写真道楽」のワードを使った。楽しい道なんだよねと、コメントされるとうなずく以外にはない。この道に深く根差した話には聞こえた。そんなこと言いつつ、写真活動にはやるほどに「奥深い」道をさまようようになるというのが印象。

 何に?どこに?なにを?いろいろなことがあり、瞬間があり、怒りもあり…(そう言えば「笑い」はほとんどないが、社会性を帯びるとなると然りなのかも)情念だの恐れだの際限のない世界が相手となる。待ってくれ、ただ己が整理着かないだけのことではないのかなという、嫌な自問も噴出してくる。