2014年1月23日木曜日

いい写真を撮るにはまだまだ

 現代写真研究所の講座に行ってきた。講師の話は、リアリズム写真の真髄を話してくれて、通っていたころの目標も思い出させてくれたた。どの講師も、生涯かけてのテーマの追求となったものだとの印象を受けた。原発、パリの写真家、炭坑、戦争などテーマを追求するということで、テーマに沿った社会のありように関わっていくことが、記録になり告発につながっていく。そこからまた、テーマの繋がりが現れる。そういう写真でなくでどうするのだと熱がこもった話だった。

 観光地を巡って何が撮れるのかと、迫られるようだった。そういう仕事となるとプロ集団の仕事だという人がいると紹介していたが、生涯をかけてやるというまでにはなかなか取組が難しいという気がする。だが、話しながら紹介した写真も、きれいな景色や美的な人物写真でないし、夕張炭鉱の写真集は、非常にり迫力があるものだった。現実を切り取るときの視点が大切なのだろう。

 写真は見る人のために撮るという話も含蓄があって面白い。面白いのだが、ここが悩ましいところで、自分がいいと思ったものでも、他人は思わない場合が往々にしてある。Facebookの写真グループでも、写真の趣旨によって違いがあって、勢い込んで投稿してもがっかりすることはある。他者の投稿をよく見てみると、確かにいいものがある。いいものはやっぱりいいとしか言いようがないが、美的なものと社会性の違いとでもいうのか、写真はいいとは思うが感動までというと、自分がまだまだ咀嚼しきれていないものがある。人の評判だけを気にしていたら、絵葉書と違わないものになってしまうだろうし。

Facebookに投稿した「評判のよかった」写真

「先斗町は品がある」